〔2023年12月24日 英語礼拝⑤〕

 

だから、クリスマスはとても重要なのです。なぜなら、私たちは何度も、飼い葉桶の中の赤ん坊、イエスを飼いたいと思うからです。「ああ、かわいい。ああ、かわいい。かわいくて、小さくて、私がコントロールできそう。」そうではない。赤ん坊のイエスは、たとえ小さくても、全宇宙を支配する父と一体だったのだ。アーメン。それから、数年のうちに、彼は両替商をひっくり返し、ペテン師を追い出し、神殿で彼が作った鞭や武器で人々を追い出したのです。彼は非常に、非常に危険で、危険で、危険な男になったのです。そしてもちろん、それが、奴らがイエスを殺そうとした理由なのです。イエスはイスラエルの民に、奴隷にはならないことを示したからだ。私の王国は、この世のものではない。彼らは真の王ではない。その時代の彼らは神ではないのです。では、マタイによる福音書1章に飛びましょう。18節、18節に行きましょう。18節です。

 

1:18イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。 1:19夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。 1:20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 1:21彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 1:22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、

1:23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 1:24ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。 1:25しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

 

さて、イエスがお生まれになった時のことである。第2章です。

 

2:1イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、 2:2「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 2:3ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。 2:4そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。 2:5彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、

2:6『ユダの地、ベツレヘムよ、

おまえはユダの君たちの中で、

決して最も小さいものではない。

おまえの中からひとりの君が出て、

わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

2:7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、 2:8彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。 2:9彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。 2:10彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。 2:11そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。 2:12そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

2:13彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。 2:14そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、 2:15ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

2:16さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。 2:17こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。

2:18「叫び泣く大いなる悲しみの声が

ラマで聞えた。

ラケルはその子らのためになげいた。

子らがもはやいないので、

慰められることさえ願わなかった」。

2:19さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、 2:20「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。 2:21そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。 2:22しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、 2:23ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

 

さて、このように、信じられないようなサイコパスはいない。さて、マタイによる福音書、ルカによる福音書は、イエスの誕生について語っている。ヨハネ伝にもマルコ伝にもない。でも、マタイ伝とルカ伝では、ルカによる福音書の方が詳しく書いてある。エリザベツの話があり、洗礼者ヨハネの誕生の話もある。ルカ伝の方が詳しいんだ。ルカ伝ではより詳細な説明がある。マタイ伝では、ヘロデが子供たちを皆殺しにしようとしたことを示します。ヘロデ王が、この3人の賢者から、ユダヤ人の王が生まれたと聞いたからだ。それで、それで、どうなったんですか?それから、イエスの家族は逃げなければならなかった。エジプトに逃げなければならなかった。(略)そしてエジプトへ向かった。アフリカへは、スパイス街道、スパイス貿易街道、シルクロード、シルクロードを通る。そう、軸があるんだ。アフリカの人々は気づかない。西洋では聖書を読んでいるからね。イエスがアフリカに住んでいたことを知っていますか?聖書にははっきり書いてある。彼はエジプトにいたと。それは興味深い?彼はアフリカにいたのです。少しの間、アフリカに住んでいた。そうです。でも、でも、でも、もちろん、ヘロデが死んだ後、彼は戻ってくるんだ。そうです。

 

つまり、キリスト教の歴史はすべて新約聖書の時代だったということだ。なぜなら、イエスが第二の道を歩み、十字架にかかり、信仰によってイエスを信じる人々に霊的な救いを与えたからだ。しかし、明らかに物理的な王国は来ることができない。なぜなら、血統がなく、物理的な王国がないからだ。王国には物理的な王権の血統が必要なんだ。だから、キリストの王権の系譜が地上に来なければならない。ある時点で物理的な王国がなければならない。それが聖書の中で将来、約束されていることなんだ。だから、新約聖書の教会は、パウロが語ったように、あるものを表している。それは何か?新約聖書の教会は花嫁を表しているんだ。だから、新約聖書の教会は花嫁の象徴なんだ。イエスが来られるのを待っているのだから。何の話か分かりますか?とても女性的な性質なんだ。女性は戦士ではなく、ただ待っている花嫁なのです。カトリック教会でさえ、そうでしょう?私たちの教会で救われた人たちの多くは、カトリック教会から来ているのです。

 

 

 

 

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