〔2023年12月10日 英語礼拝⑬〕

 

そうなんだ。私が20代の頃、君たち、若い子たちの年齢の頃は信じなかったよ。年寄りの作り話だ、と。だって、自分の身体はいつも強く戦っていたからね。そして、いつも強いと思っていた。いや、彼らは怠け者だから、そんなことを言うんだと。今、僕は44歳だ。韓国式でいうなら45歳。左膝が吹っ飛んで、文字通りバーンと爆発して、右肩が吹っ飛んだ。右肩が。1年か2年のスパンで、それが起こったのを見たんだ。ドカーン!ドカーン!すべてが吹き飛んだんだ。一体何が起こったんだ、と思ったよ。1年間、この肩を後ろに回すことができなかった。やっと動かせるようになったんだ。信じられない話だ。腕立て伏せも1年間できなかった。文字どおり、やっと腕立て伏せを再開したんだ。今はまだ、この肩でどこまでできるか試している段階なんだ。こっちはポキポキ、こっちはダメになっている。だから、20歳の頃は信じられなかったよ。僕はいつも運動をしていたし、訓練もしていたからね。武術の訓練も大好きで、ずっとやっていたんだ。でも、でも、体がダウンし始めたんだ。

 

子供たちは、私が30代になってから、パパが一緒に訓練しているのを見たんだ。子供たちは、私が彼らを青帯まで鍛えているのを見ていた。それで、一緒に練習したんだ。私とレスリングをした。ボクシングも一緒にやった。私の子供たちはみんなそうしてきた。パパの強さを知っているからね。でも、40代になると突然、いろいろなことが爆発するんだ。バカバカしくなって、こう言うんだ。「なんてことだ! 何が起こっているんだ?」そうだね、僕が5ポンド以上の物を着用しているのは、おそらく助けにならないだろうね。毎日、ガンベルトとかしてるし。でも、それが何か?そうなんだけど、要は体が壊れ始めているということだ。それで、この20年間は何をしていたのか?会社や政府に投資してきただけか?そして、50歳から60歳にかけては、ますます病院で過ごす時間が長くなる。入院するかも知れない。癌や関節炎のような衰弱した病気にかかり、糖尿病など様々な病気にかかる。人が寄ってきて、あなたのそばにいるって?勘弁してくれ。彼らは自分の家庭で忙しいんだ。

 

(若さを仕事等に投入して、結婚が遅くなって、40歳で子供を持った場合)あなたより40歳も年下の子供たちのことを考えてみて。彼らは、歴史的に40歳も離れているのだから、あなたと共感することはできない。私たちの世代は常に20歳前後だ。40歳、50歳のようなことはなかった。このギャップは大きすぎる。まるで祖父母のようだ。つまり、子供と40年のギャップがあるわけです。10歳までに肉体的なことは何もできない。若い男性は10代になると、あなたを殴ることができれば、あなたを尊敬しなくなる。でも、もしあなたが15歳しか違わないなら、私の子供たちは違う。私は18歳だった時、私が18歳、王妃が19歳のときに信八を産んだ。私たちは最初の子供を授かった。でも、私たちは結婚の契約を結んで結婚した。私たちは神に祝福されたのです。ハレルヤ!神を賛美します。そして、18歳、19歳の時に男の子を授かりました。だから、私の最初の男の子が生まれた時は、18歳だった。だから、私と子供は、18歳のギャップがあった。彼がティーンエイジャーの頃、私はまだ30代、30代後半です。(略)彼が10代前半なら、僕は30代半ばだ。だから、彼が10代になったとき、子供たちは、自分が打ち負かせると思った相手には敬意を払わない。でもパパには勝てないってわかっているんだ。それでも、パパは彼らを打ち負かすことができるし、私は彼らを武術の訓練の中で安全さを見せることができる。彼らは私のパワーを感じるだろう。私のテクニックを感じるだろう。その違いを感じるんだ。だから、威嚇するわけじゃない。

 

ただ、マーシャルアーツの試合では、本当に違いがあるんだ。つまり、自分より優れたファイターと戦うと、それを感じる。それを感じるだろう。間違いなく感じるだろう。圧倒される。でもそれは、すべての男女が経験すべき、とても重要なことなんだ。だからこそ、平和警察の人たちは素晴らしい贈り物なんだ。中央集権的な法執行機関も中央集権的な警察もないのだから、すべての地域社会は子供たちに早くから戦闘術を訓練するよう奨励されている。それは彼らの機能を発達させる。自己防衛の意識を持つことができるようになる。つまり、自分自身を守り、他人も守る。そうすることで、平和軍全体、そして国家全体に対する意識を持たせることができる。

 

神の王国とは何かというと、主の戒めである。神を愛し、隣人を愛しなさい。神を愛し、隣人を愛しなさいという戒めが、社会主義に対する戒めであることを知っていましたか?人々は通常、それを連想しません。普通はそうは思わない。なぜなら、それは多くの層を持っているからだ。もちろん、神を愛し、隣人を自分のように愛するという意味もある。そう、人々に親切にする。それは明白な意味を持っている。しかし、もう一つの意味もある。それは暴君に対するメッセージなんだ。なぜかというと、神のいない、イエス・キリストのいない人間の歴史の中で、人間は力を持っているからだ。奴らがあなたの奥さんが好きなら、あなたを殺して奥さんを奪う。あなたの土地が欲しければ、あなたを殺して土地を奪う。それがどういうことかわかるだろう。フランスの王たちはそうした。イギリスの王たちもそうした。世界中の王がそうした。分かるか?これがどう作用するかわかるだろう。しかし、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛せよと言うとき、イエスは暴君たちにこう言っているのだ。イエスは暴君たちに、他人の土地や妻を盗んではいけない。自分を愛するように、彼らを愛さなければならない。権力だけが欲しい暴君には、やたらでっかいシートベルトが必要だ。私のものだ。私のものだと。違うのです。これは専制政治に対する信じられないような戒めであり、貧しい人々や農民、普通の人々を守るためのものなんだ。神を愛し、隣人を愛するという言葉に込められた意味が分かりますか?隣人を愛しなさいというモデルは、個人から発する力強いメッセージなのだ。

 

暴君の頂点に立つ者同士、親切にしなさい。隣人を虐待しない方がいい。1エーカーの土地を所有する地主がいる。あそこにある1エーカーの土地、あなたは彼を尊敬するのです。彼の家族は、神が彼に与えた家族だ。彼の土地は、神が彼に与えた土地だ。だから彼を敬うのです。ほら、ほら、ほら、これは信じられないことだ。神を愛し、隣人を愛するという教えがどれほど素晴らしいか、人々は理解していない。これは神の王国の基本なんだ。そして、それは土地の所有権から主権へとつながる。地上の権威にもつながる。これらすべてがつながっている。しかし、そのすべては愛に基づいています。いかに神があなたを愛したのか。神は、あなたのために、喜んで息子を十字架につけて死の道を歩ませた。再臨の際には、北朝鮮で死亡認定を受けた飛行機乗りの拷問の道を歩ませ、そして、お父様は死んだ。死んだ。死んだ。そういう死の道を歩むために息子を遣わされたのです。神はあなたの宗族と家族の自由のために、あなたを王国の宗族として確立するためにそうされたのだ。それが神の愛なんだ。そうなのです。それを犠牲的な父の愛と言うんだ。それがアダム文化の中心であり、お父様が王国文化と呼ぶものはアダム中心なんだ。それが基本です。アダムの、お父様の文化です。この犠牲的な父の愛は、息子にとっても娘にとっても良いものです。それはより強い息子、より強い娘を作ります。そうだろう?

 

 

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