〔2023年7月9日 英語礼拝⑤〕

 

しかし、自由意志によって、ユダはそれに向かって歩いたのか、それともそれから離れたのか?彼はそれから離れた。彼はそれから離れて歩き、キリストから離れたのです。それで、彼が救いを失ったと言った。当時は救われていたと言っただけです。彼が救われたと言っただけだ。彼は自分の意志でキリストから離れていった。そして今、彼はもう見ていない。彼は消し去られた。だから今、あなたは、救われた人はずっと救われているという、もう一つの伝統的なキリスト教の教義に逆らっているのです。あなたは今、間違いなく異端者であり、間違いなくカルトです。(笑)でも、私の言っていることは理解できますよね。さて、あなたは自分の目でそれを見た。よし、次に行きましょう。マイクを持ったままでは、上手に聖書が開けません。コロサイ人への手紙の第1章にジャンプしよう。コロサイ人への手紙の第1章に。13節から始めましょう。一緒に読みましょう。13節から読みましょう。テックチーム、アップしましたか。では、技術チームを待ちましょう。コロサイ人への手紙1章13節。アップできましたね。では、13節です。

 

1:13神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。

 

誰のことかわかりますか?イエス・キリストのことですね。私のイエス・キリストのことです。

 

パウロは誰のことを言っているのですか?1節を見ましょう。使徒パウロは、イエス・キリストのことを話しているのです。では、4節にジャンプして。

 

1:4これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである。

 

そうです。イエスのことを言っているわけだ。さあ、10節に戻りましょう。

 

1:10主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。 1:11更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、 1:12光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。 1:13神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。

 

 だから、私たちは、はっきりとイエス・キリストのことを話しているんだ。そうでしょう?私たちは今、息子のことを話しているんだ。メシアについて話しているのです。

 

1:14わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。

1:15御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。 1:16万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。

 

そうです、彼は父と子が一体化して調和していることを示しているわけですね。お父様は夜の神様、昼の神様について語られました。創造前の神、創造後の神。メシアは夜の神、つまり神格から来られるのです。

 

だから、それらは、目に見えるもの、目に見えないもの、天にあるもの、地上にあるもの、すべてを意味するのです。皆さん、聞こえますか?天と地、それはすべてを意味するのです。目に見えるもの、目に見えないもの、王座であろうと支配であろうと権力であろうと......これらすべては、神の前で、神によって造られたのです。それでは、17節。

 

1:17彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。 1:18そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。 1:19神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、

 

では、20節を読んでみよう。

 

1:20そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

 

ああ、主よ、主よ、主よ。さて、16節を読んでください。父と子が創造し、目に見えるもの、目に見えないもの、地上のすべての天が、玉座となり、人格的な力が弱まり、すべてのものが御子によって、御子のために創造される。

 

そうです、みんな見たでしょう。次に20節。

 

その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

 

そうです。つまり、十字架の贖いによって、それが第二の道であったとしても、やはり十字架の贖いによって、神はそれを用いられたということだ。すべてのものが、すべてのものが和解するように計算された。ちょっと待ってください。彼らは万物について話している。過去のすべても、現在のすべても、未来のすべてということですか?もしそうなら、神が未来のこと、未来の人々、未来の行動までもすべて和解させたと言うなら、どうなると思いますか?あなたは今、100%予定説のカルヴァン主義者になるのです。振り出しに戻ってしまう。もし神が未来を決定したとしたら、そこに登場するすべての人々。そこにあるすべての思考と行動が、その中にあることになります。振り出しに戻っているということが分かりますか?(略)マタイによる福音書第10章19節と、ルカによる福音書第10章にあるように。神は、予定説のカルヴァン主義者ではありません。聞いていますか?皆さん、話についてきていますか?理解できますか?

 

 

 

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