〔2023年5月14日 英語礼拝⑥〕

 

ある素晴らしい姉妹が証言してくれました。彼女は言っています。「トレーニングに参加する前の私は、口うるさく、感情的になり、子供たちに感情的な態度をとっていました。そして、自分の感情を爆発させたり、怒鳴ったり、叫んだり、何でもしていました。そして、子どもたちに何度もトラウマを植え付けました。」と。彼女は数年間そうしていました。その後、カウンセリングやトレーニング、あるいはそのようなものを受けていました。これは、彼女が子育てをする前のことで、ただ子育てをするだけなのです。彼女はカウンセリングを受けた後、その逆を行ったのです。子供たちに何でもやらせていました。何でも、叱責することはなかったのです。何をするにも境界線を作らない。左翼のカウンセリングは、基本的にそう教えるからです。

 

そうです。受け入れろ、聞きなさい。受け入れろ、聞きなさい。受け入れろ、聞きなさい。受け入れろ、聞きなさい。ああ、誇らしい、ありがとう。そうだ、聞きなさい。では、彼女はその逆を行いました。そして、彼女は、彼らにすべてをやらせたのです。彼らは小さな赤ん坊のようになり、彼女を支配し始めたのです。彼らは自分たちが独裁国家の王だと思い込んでいたのです。赤ちゃんが暴君になったのです。赤ちゃんが邪悪になったのです。皆さん、何の話か分かりますか?だから、それは、子育てではないんです。そんなことしてはダメです。どっちも極端なことをしてはいけません。

 

公正な子育てとは、神が私たちを愛する方法なのです。そうだ。ただ、神が私たちを愛し、神の正義がいかに正しいかを模倣しようとしているのです。だから、また子供たちに境界線を教えるのです。感情的な中毒者みたいなことをしないようにね。そして、「今日は嫌なことがあった」と、わめき散らすのです。だから、子供たちがしたことをそのままにしておくのです。なぜなら、このように同じ行動を何度も何度も繰り返すからです。子供が小さいうちは、そうですね、それは感情的なジャンク主義です。しかし、それは一時的にうまくいくかもしれません。一時的にはあなたを怖がらせるかもしれませんが、長期的には、彼らは、コントロールできないことに腹を立てるようになります。そうして、彼らは始めるでしょう。そうやって発散している人に不信感を抱くようになるんです。もし警官がいつもあなたに発散していたら、あなたはこの、警官を信じることができなくなるでしょう。(略)

 

だから、子育てをすることで、親は若いうちからこうしたことを考え、さまざまなテクニックを身につけることができるのです。でも、本当に一番大切なのは、心のしつけをすることです。そして、パニックにならないこと、ですね。だから、公正な子育てのトレーニングでは、これから起こるであろう事柄について学ぶのです。子供がある程度の年齢になると、これから出てくることを説明します。その子たちが悩みを抱え始めるんです。だから、問題が起こる、そのときではなく、今のうちからその問題に備えておくのです。ハリケーンが目の前に迫っているときに、問題に備えようとするのは最悪のタイミングです。そうでしょう?そんなことはしたくありません。その前にメカニズムを作り、その何年も前にダイナミクスを理解し、それに備えてトレーニングを開始したいのです。なぜなら、親子関係には浮き沈みがあるのが普通だからです。

 

このように、ダビデとの契約では、神が「契約は永遠に続く」と言われたことがわかります。もちろん、それは終わりを迎えるわけではありません。しかし、その約束は終わってはいないのです。神様の約束は、そして、今信者が持っているキリストとの関係は、イエス・キリストによって成就するのです。イエス様との関係、信仰、それが今、神様とのつながりになっているのです。それは、今や幕屋よりも偉大なものです。それは今や、すべての詩篇や神殿よりも偉大なものです。なぜなら、彼はキリストだからです。彼は、地上に肉体を持つようになったのです。彼は、すべての人が通らなければならない人であり、息子であり、人生の真理はここにあるのです。彼を通してでなければ、誰も父のもとへ行くことはできません。だから、彼はその生きた幕屋になるのです。そして、もちろん、彼は建物ではありません。アーメン。 

 

彼は建物ではない。彼はサンダルと麻の衣を身にまとって、歩く男性だったのです。皆さん、何の話か分かりますか?彼は歩き回っていたのです。しかし今、彼は真の幕屋なのです。建物や箱の中にいるのではなく、神の真の臨在を示すのです。これらはすべて、神が望むメシア的成就、メシア的関係の伏線なのです。もしイエスがダビデの血筋を持っていたとしたらどうでしょう。もちろん、イエスがダビデの血筋の出身であることから、それが重要であることは誰もが知っています。血統が重要であることは誰もが知っていますよね。血統が重要でないわけではありません。非常に重要なことなのです。イエスをダビデの子と呼ぶのは誰でも知っていることです。そう呼んでいただろうし、実際にそう呼んでいたでしょう。しかし、もちろん違います。一度だけ、そのことでイエスが彼らを叱責したことがあります。

 

しかし今、彼らは皆、契約を手に入れたのです。(略)今、それはキリストの人において存在し、キリストが待ち望まれた存在なのです。アーメン。父と一体となった息子、それが今、神の代身が住む場所なのです。だから、契約の箱に近づくために、すべての人々がイスラエルに来なければならなかったように、イスラエルのすべての人々は、何に対してそうするべきだったのでしょうか?イエス様に対して、です。

 

ソロモン神殿の建物を見に来ようとするだけでなく、イスラエル人全員が本物の神殿を見に来るべきだったのです、正に、本物の神殿を見に行くのです。アーメン。キリストとは誰ですか?これは生きた神殿であり、その壁が本当に建てられ、どのような石がどこにあり、信者が石となり、キリストが礎石となる。アーメン。生きた建物、生きた神殿、もしイエスが、当時のユダヤ人全員、そして全世界のユダヤ人が、エレミヤ書やエゼキエル書にある預言を本当に実現させ、その全員がキリストのもとに来なければならなかったと想像してみてください。全世界のユダヤ人が、ここが神の住まいである生きた幕屋である、と信じていたなら、と。

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村