皆さん、クリストファーの話を続けましょう。ダニエル書、第3章、ダニエル書の第3章14節に進みましょう。ダニエル書3章と14節、ダニエル書3章と14節、ダニエル書3章と14節。そして、読んでみましょう。

 

ネブカデネザルは彼らに言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。

 

もちろん、ネブカドネザルは、彼が作った金の偶像を拝まなければ、と言っていますが、このことを国家的な犯罪、(違反をすれば処刑が)実行可能な犯罪にしたのです。そして、彼の神々を拝まないならば、それは国家的な法の執行、つまり死刑になるのです。ネブカドネザルの黄金の神々にひれ伏して従わないなら、あなたは処刑されるのです。さて、それでは何が起こるか見てみましょう。

 

あなたがたがもし、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して、わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。

 

彼はお前たちを殺すと言っているのです。あなたはバビロンの神々を拝まない。それなら、お前は死ぬのだ。生きたまま焼かれるのだ。お前の肉は溶け出し、お前の骨は、火の炉の中でゆっくりと拷問されたように苦しい死となるだろう。

 

前にも言いましたが、命を崇拝するならば、死を恐れることになるでしょう。しかし、もしあなたが何を崇拝するならば?と言いましたか?生命の授け主です。もう死を恐れることはないのです。わかりますか?そうです、それは間違っています。そうです、命を崇拝するなら、決してうまくはいかないのです。 そう、あなたは生きたい、人生を楽しみたいのです。ここであなたはこれらの神を崇拝するのですが、もしあなたがそれを崇拝しないなら、あなたは死ぬのです。そのようなことを、ネブカドネザルは期待していたのです。なぜなら、これは彼がいつも受け取るもの、あるいは人々が言うことだからです。

 

ああ、そうです。わかりました、やります。私は崇拝します。そうです、あなたはラッキーです。そういったことを彼は期待したのです。でもシャドラク、メシャクとアベデネゴは断りました。自分たちの名前は忌み嫌われるだけでなく、その名前は、実はバビロニアの神々の名前なのです。彼らはユダヤ人の名前から、粉々になったメシェクのような奇妙な名前に変えなければならなかったのです。つまり、これらの名前はバアルを賛美するような名前なのです。とにかく、重要なことは、彼らは自分たちが考えていることを、実際に言ったということです。では、彼らが言っていることを見てみましょう。さあ、16節です。

 

シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。

 

彼らは世界の帝王にそう言ったのです。皆さん、彼はいつでもあなたを殺害し、死なせることができ、彼の処刑はすべて準備ができています。そうだ、そうだ、彼らは引き金に指がかかった状態なのです。彼らはただ首を切り落としたいだけなのです。それを楽しんでいます。特にこの少年たち、皮肉な少年たち。この愚かなユダヤ人の少年たちは何者だ?こいつらを殺してやろう。そうだ、そうしよう。そして、シャドラク達は言った、「いや、王よ、ダメです。私たちはあの金の像を拝みません」。さて、19章を読んでみましょう。

 

そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。

 

7倍も熱くしろというのです。そうしないと、以前より熱くならない、あるいは熱くならないので、火を七回熱するように言ったのです。それで今度は大きな丸焼きができる。そうすれば、彼らを見せしめにすることができます。そして、こう言うでしょう。「私にそんなことをしたら、彼らのように死んでしまうぞ。』と。そう、それが彼の目的だったのです。20節です。

 

またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、「われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか」。彼らは王に答えて言った、「王よ、そのとおりです」。王は答えて言った、「しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ」。

 

ああ、ハレルヤ!さあ、神様を讃えましょう。賛美しましょう、ああ、処刑人が焼け落ちただけでなく、シャデラク達も落ちたのです。そして彼らは落ちたのですが、ネブカデネザルたちは見ました、4人目の男を見たのです。4人目の男を。4人目の男は火の中を歩き回り、シャドラクを守っていました。ネブカデネザルは何と言いましたか?4人目の姿は神の子のようだと言いました。 皆さん、私の言っていることが分りますか?それがクリストファー(クリストファニー:キリストの顕現)です。 あれは、夜の神様の受肉前のイエスなのです!炉の中に現れました。 同じです。北朝での肉を身にまとい、真のお父様となられたキリストが同じなのです。だから、その炉の中には、イエスだけでなく、真のお父様が、ネブカドネザル王の時代に、シャドラク、メシャク、アベデネゴを守るために、その炉の中にいたのです。それがクリストファーです。ほら、これがクリストファーなのです。夜の神様、昼の神様。そう、この人は夜の神様から来た人です。彼は火炉の死にも耐えられるのです。預言者たちや人々を守る力と権威を持っています。そしてどうでしょう?ネブカデネザルたちは、4人目の男を見たとき、これは神の子だと言いました。これはもう一つのクリストファニー(キリストの顕現)なのです。

 

もう一つのクリストファニー(キリストの顕現)です。私たちがキリストに出会ったのはエリコの戦いの直前のヨシュア記だけではないのです。そうです、そこで私たちの父は、彼は夜の神から来たと言いました。しかし、しかし、ここで神の子キリストが現れるとは、ネブカドネザルの時に火の炉の中に現れたキリストのことです。皆さん、これは、これは、私たちは知らなかったのです。これがキリストを知るということなのです。私たちが知っているのはこの人です。彼はただの砂上の楼閣の人間ではありません。彼は昼の神様、あるいは創造の後の神から来たのではありません。すごいことです!

 

 

 

 

 

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