第3章 主権者たる王国の市民

3.5 天一国憲法:地上における神の王国の起源

(33)の続き

 

 

アメリカの保安官を見本として、警察も国民に対して説明責任を果たすようにしたいのです。天一国憲法には保安官モデルがあり、中央集権的な警察は天一国憲法では違法なのです。アーメン!違法なのです! 中央集権的な警察は違法です。連邦化された警察は違法であり、連邦軍も違法なのです。(2021.02.28)

 

(使徒行伝20:28)

どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。

 

 (ペテロの第一の手紙5:2-4)

あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。

 

 

天一国において、所有権は非常に重要です。そのため、軍隊でさえも、政府ではなく市民が所有し、市民が陸上歩兵隊、空軍、海軍を担っています。そうすれば、無駄な戦争を防ぐことができます。上記をすべて政府が所有すると、無意味な戦争が生まれます。(2020.12.02)

 

(詩篇2:8-9)

わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。

 

(詩篇120:6-7)

わたしは久しく平安を憎む者のなかに住んでいた。わたしは平安を願う、しかし、わたしが物言うとき、彼らは戦いを好む。

 

 

天一国憲法では、捕食者(略奪者)が簡単に人を食い物にできなくなるため、非常に怖い人たちが生まれます。女性でも、必殺技の訓練を受け、鉄のつえを所有し、使い方を知っているので、おっかないのです。天一国における捕食者は、天一国市民を捕食しようとすると死ぬ可能性があります。特に女性を捕食しようとすると死ぬ可能性があるのです (2020.12.02)

 

(士師記5:26-27)

ヤエルはくぎに手をかけ、右手に重い槌をとって、シセラを打ち、その頭を砕き、粉々にして、そのこめかみを打ち貫いた。シセラはヤエルの足もとにかがんで倒れ伏し、その足もとにかがんで倒れ、そのかがんだ所に倒れて死んだ。

 

(サムエル記上17:34-36)

しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。

 

 

キリスト教に基づくシステムでは、根本的に人間は信用できないと見ています。権力者のある時点で、チェックを受けて、バランスを取る必要があります。だから、天一国憲法にもチェックアンドバランス(権力が特定部門に集中するのをさけ、各部門間相互の均衡をはかること)があり、天一国憲法では、お父様の王権ラインも絶対的な権力を持っていないことが分かっています。軍事力もなく、法的な立法権もないのです。司法府の中にあるのです。だから、政府の一つの部門にしかないのですが、もちろん、それをチェックして、バランスをとる5つの部門があります。天一国憲法でさえ、神の根本的な人間観の本質を反映しています。私たちは善を行うことができますが、神の助けが必要なのです。アーメン!私たちは自分たちではできないのです!分るでしょう、それが(天一国)憲法なのです! 天一国憲法は、道徳的で正しい方法で行動するのを助けてくれるのです!隣人から奪おうとせずに、自分が獲得していないものを盗もうとせずに、政府が国民から盗んでいるお金を、自分たちが盗もうと考えているときに、それが良いことをしているという偽りの幻想を作り出すような政府のプログラムを作ることをしないのです。それはすべて偽りであり、妄想であり、嘘なのです!それは偽りの正義なのです!(2021.03.07)

 

(詩篇143:10)

あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもってわたしを平らかな道に導いてください。

 

(箴言21:2)

人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。

 

 

クリスチャン・コミュニティとして、私たちはドラッグに反対しています。子供たちにドラッグやアルコール、そういったものに 関わってほしくないのです。子供たちには、そういったことに手を出さず、訓練を受けてほしいのです。厳しい訓練を通して、規律を学ぶことができるのです。しかし、同時に、中央集権的な組織が薬物との戦いを宣言し、薬物と戦っているように見せかけている、そんな王国文化はいらないということです。実際にはその結果がどうなっているのでしょうか?薬物の使用量が増え、薬物に関連した犯罪が増加するのです。だから天一国憲法では、政府がGDPの10%を超えて成長することを禁じています。また、教育省、エネルギー省、環境省などの機関はすべて違法です。政府機関ではこういった問題を進展させることはできなのです。それらの機関は、すべてが憲法違反の内容であり、すべて違法です。これは憲法に明記されています。もちろん、麻薬との戦い、貧困との戦い、こういったものも違法です。なぜなら、結局は犯罪を増長させ、麻薬に関連した死亡事例を増加させることがわかっているからです。(2021.02.28)

 

(詩篇119:134)

わたしを人のしえたげからあがなってください。そうすればわたしは、あなたのさとしを守ります。

 

(ヘブル人への手紙12:11)

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

 

 

聖書には「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」(詩篇30:5)とあり、どんなに暗い夜の時間でも目を離さないようにしなければなりません。 暗闇を覗き込むと、その暗さと遠さを見ながら、それに呑み込まれてしまうことがあるから、決して暗闇に吞み込まれてはいけないのです。しかし、それは罠です。サタンは、あなたがサタンに関連することに集中することで、希望を失い、士気を失い、サタンと戦うためのエネルギーと力をすべて失うことを望んでいます。あなたは、暗闇に焦点を合わせてはならないのです。 暗闇は、一時的な試練に過ぎないのです! 私たちは、神の国に焦点を合わせなければなりません。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイによる福音書6:33)とイエス様が言われたように、王国に焦点を合わせましょう! 自由に目を向けなさい! 自由に焦点を合わせましょう! 家族を重要視しなさい!分散化された武装社会で、互いに保護し合う平和警察-平和軍に意識を集めましょう! その善良さに目を向けなさい!その正義に焦点を当てよう!神と隣人のために立ちあがる、そのような社会を大切にしましょう!そして最後に、皆さんは再び神の力と愛を感じることでしょう。もう、皆さんの周りに迫ってくる暗黒の雲に、サタンがあなたを包もうとしている暗黒の雲に惑わされることはないでしょう。皆さんは、「サタンよ、私から立ち去れ!引き下がれ、悪魔!」と言うことでしょう。そして、神の王国の驚くべき香り、芳香、感覚、力、愛、連帯、お互いを保護し合っている姿を、見て、嗅いで、味わって、触れることができるようになります。この驚くべき力のすべてが、神の王国にあるのです。そして結局のところ、サタンの勢力は決して打ち勝つことはできません。なぜなら、それは、この宇宙の正義の、正当なる支配者である全能の神のものであり、私たちは神の子、神の王国としての宇宙を正当に継承する者であるからです。(2021.03.13)

 

(歴代志下20:6)

われわれの先祖の神、主よ、あなたは天にいます神ではありませんか。異邦人のすべての国を治められるではありませんか。あなたの手には力があり、勢いがあって、あなたに逆らいうる者はありません。

 

(ダニエル書2:44)

それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。

 

(ローマ人への手紙8:16-17)

御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

 

 

キリストは、征服するために来ると信じていたユダヤ人たちのメシア王国の預言を実現するために、この地上に来られたのであり、彼は王国を樹立するために来られたのです。もちろん、このことはルカによる福音書にも書かれています。イエス様ご自身が福音を定義されるときはいつも、「私は福音を宣べ伝えるために来たのです」と言っています。何の福音ですか?神の王国の福音です。「私が死ぬという福音を 伝えるために来た。」とは言っていません。そんなことは言ってないのです。「神の王国の福音を宣べ伝えるために来た。」と 言っているのです。 (2021.05.30)

 

(ルカによる福音書4:43)

しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。

 

(マタイによる福音書9:35)

イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

 

 

 

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