Rod of Iron 鉄のつえ②

 

(1)神と鉄のつえ:ケルビム

2019年10月13日、鉄のつえ自由祝祭の2日のスピーチで、二代王は「ケルビム」について、おそらく(自分が知る限り)初めて言及された。「見捨てられた我らの父」でも触れている。(神が最初の武器を創造したというみ言は以前にもある。)

(二代王のスピーチ)
私たちが聖書の神について考えるとき、昨日見たように武器や兵器について考えないかも知れません。 しかし、聖句を見て、聖句に正直であるとき、創世記のエホバ、神ご自身が最初の武器の創造者であり、 アダムとエバが堕落した後で、エデンの園の東側にケルビムを置き、今、呪われているのです。 なぜなら、今、彼らは、新しい主人ルーシェルの支配下に落ちてしまったからです。

(「見捨てられた我らの父」)
堕落の物語の最後に、神はアダムとエバをエデンの園から追い出した後、生命の木を守るために、園の東側にケルビム(男性の武装天使)を配置したと聖書に書かれています(創世記3:24)。ケルビムは燃えるような剣を振り回し、それが前後に光って侵入者を追い払うという攻撃兵器の役割を果たしていました。

ケルビムの参考記事

二代王は、神御自身が最初の武器の創造者であると言及している。人間の堕落の後、「ケルビム」が登場してくるが、堕落後に神が新たに創造したとは考えにくく、(参照:原理講論、堕落論の「神のみ創造主であらせられるために」)天使の創造時に「ケルビム」も創造しておかれたと理解するべきであろう。


(2)イエス・キリストと鉄のつえ

 



Kerry K. Williams の著書である「イエス様と真のお父様は一つ」によれば、イエスは、弟子たちが当時の法律に違反して、剣を持ち歩いていたことをご存じであり、弟子たちもローマの法律よりも、イエスの指示に従っていたという。イエス自身も、衣服よりも剣を持ちことを勧めていたことも聖書には記載されている。当時のユダヤ人たちが権を持つことが禁じられており、違反した場合には、「死刑」であったことを考えてみると、イエスが弟子たちに剣を調達するように指示したことは本当に驚くべきことであった。他にも聖書には、っ宮清めでイエスが御自身で作成された鞭を使用されたり、児童虐待者の死刑を支持している。後世の人間がイエスのことを「平和主義者」であり、非暴力の象徴として用いられる場面、イエスが大祭司の僕の耳を切ったペテロを叱責して、「剣をとる者はみな、剣で滅びる。」と言ったのは、暴力を生活のパターンにしてはいけないという意味であり、防衛のための武器使用まで否定しているわけではないと説明している。「正しい」か「間違っている」を決めるのは、目的と理由であって、武器使用そのものではないと。

そのように語られたイエスをグローシス主義者たちは、脚色してしまい、全く違う人物に作り変えてしまった。

(以下、引用開始)
イエス:花の子

長老派教会(アメリカ)の立場は、他の教派の平和主義者の声明にも反映されています。ネブラスカ州オマハのユナイテッド・メソジストの牧師ジェーン・フローレンスは、ある説教の中で次のように説いています。
 
イエスが「剣と棒を持った大勢の群衆」に声をかけられて、彼らがイエスに手をかけたとき、彼の信者の一人が剣を抜いて、イエスをつかんでいる人の耳を切り落とした。それは血まみれの大騒乱、善人対悪人の戦いになっていたかもしれません。イエス様は暴力で介入しようとする信者を止めて、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」と言われました。まるで、彼らの暴力的なやり方に身をゆだねることで彼らの仲間にはならないと言うかのように。まるで、報復は解決策ではないと言うかのように。まるで、剣は神の方法ではないと言うかのように。イエスは、自分の切迫した死に直面しても非暴力を教え、暴力は適切な対応ではないと教え、イエスは平和主義者として生き、死んだのです。

メソジスト牧師の、この声明以上のグノーシス主義の勝利は,どこにもありません。イエスのこの描写からは,待望のメシアが消えています。「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。」(マタイ10:34)と語った、待ち焦がれたメシアである、イエスのこの描写は消え去りました。紐で作った鞭で、両替商を神殿から追い出した義の教師は消え去ったのです。(ヨハネ2:16)、「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。(マタイ7:21-23)と断言した厳格な神の御子は、もういないのです。武装した弟子たちに囲まれ,その時代の正しい指導者たちに対して、「へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。」(マタイ23:33)と、暴力的で激しい言葉で罵倒した、長く待ち望まれたダビデの子も,失ってしまったのです。フローレンス牧師と彼女の群れに残されたのは、「デイ・バイ・デイ 」の曲に合わせて手品を披露している、ゴッドスペルに描かれた道化師のような人物なのです。

(以上、引用終了)


(3)真のお父様と鉄のつえ

『先生が青城洞にいるとき水淫里の統一産業に一日三回行くことも多くありました。 一日ニ回は普通でした。 今から30年前でしょう? 日本の捨てた旋盤、その時72ウォンでした。 それをすべて持ってきて修理をして。 ここから世界一の工場が生まれるのです。 潜水艦、戦艦、大砲、戦車が作られます。 そう言っても完全に信じないでしょう。 先生はそんな狂人のような言葉を話すので。 そのように生きて来ました。 それで外国の旋盤のようなものも輸入しました。 自主的に生産するためです。 生産して、バルカン砲.....
 1分に3千発が出る優れた機関銃をですね。 それは機関銃です。 先生が作った旋盤で作りました。 歴史があるでしょう?バルカン砲のようなものを韓国軍では1981年に製造する計画でしたが、先生は1975年に2台作りました。 そのときお金がなくて麦飯も食べられなかった統一教会の立場から3億から4億以上のお金を投入して作って、それを当時の朴大統領に試射して見せたのですが、(駐韓 )米軍8軍もびっくりしたのです。 「これは、米国の精鋭武器と言えるが、韓国の統一産業は何も持たずに。これは何でもないと思っていたが、その性能はアメリカ製よりも良い」と言って問題になったこと があります。 その後、朴大統領が気分が良くて「う一ん。」と言ったのです。 (韓国の)軍事産業を先生が始めました。 軍事産業を指導しました。 戦車も試射砲を作ってポンと撃って..... そのようなすべてのものを作って指導してきました。 ですから今は、国土防衛において強大な背後を。 米国の技術団も巻き込んで、学ぶだけの基礎まで磨きました。 それで韓国の国防部では、レバレンドムーンを賞賛しています。 「文先生の功労!新武器開発は文先生から!」と言いながら。 』
(御言選集192巻「目標と前進」1989年7月4日韓国一和修練院)


神様も、2人のキリストも、「鉄のつえ」を重要視しておられたことが理解できるし、後世の人々によって、イエスに「非暴力」、「平和主義者」という偽りのイメージを上書きしてきた事実も確認できる。大事なことは、たとえその時の自分自身が受け入れられなかったとしても、そのままのキリストの姿を伝えるべきであり、自分の都合のいいように、捏造してはならないということである。

 

そのように考えると、地上でのイエスの言動に対して沈黙し、黙殺して、自分にとって都合の良い「イエス像」を伝え続けたパウロのことを思えば、「見捨てられた我らの父」の第1章に記されている「最初の異端者」は、マルキオンだけではなかったのかも知れない。

 

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