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●自分には甘く、
人には厳しい
それも特性のひとつ
ADHDの特性のひとつに、
「自分の欠点には寛容なのに、
人の間違いが気になる」
という現象がある。
これ、まさに私の中にもある。
自分がうっかりミスをしても、
「まぁ、しょうがない。
次気をつけよう」
で終わるのに、
誰かが同じような
ミスをすると、
つい、瞬時に反応してしまう。
「え、それ、違いますよ」って。
本人には悪気なんて全然ない。
むしろ“正しいことを教えてあげた”
くらいの気持ち。
でも、相手からしたら、
「自分のこと棚に上げて、
何なのこの人?」
と思われても仕方がない。
●ADHD脳の“修正スイッチ”
ADHDの脳って、
まるで“気になることセンサー”
が常にONになってるような感じ。
他人の発言ミス、手順のズレ、
書類の数字のずれ、
そういう「誤差」に過敏に
反応する。
頭の中では常に、
「これ、直したら
スッキリする」
「ここ、整えたい」
という衝動が走る。
それは“攻撃”じゃなく
て“調整”なんだ。
ただ、普通の人は、
その衝動があっても
口に出さない。
でもADHDは、思った
瞬間に行動してしまう。
つまり、「言葉に出るまでの間」
がない。
間がないから、伝え方が
選べない。
選べないから、誤解される。
これが一番、誤解を生む
構造だと思う。
言われた相手は攻撃だと
感じる時があるから
● HSPの私は、両側の気持ち
がわかる
私の場合、ADHDとHSPの
両方を持っている。
だから、感じるし、察する。
つまり、“やってしまう側”
でもあり、“される側”でもある。
HSPの私は、人から急に
間違っていると指摘されると
胸の奥がキュッとなる。
傷ついてしまう。
「否定された」「責められた」
って感じてしまう。
でも同時に、
指摘してきた人が
「悪気じゃなくて、
本気で正そうとしてるだけ」
ってことも、
すぐに理解できてしまう。
だから、怒ることもできない。
むしろ、その人の中の
“正しさへの不器用さ”が
痛いほどわかってしまう。
あぁ、この人も、たぶん私と
同じ脳の構造なんだな
って感じる
● 日常に潜む「わかりやすい例」
たとえば、こんな場面。
自分は家に携帯を忘れて出かけて、
他の人が連絡をとりたくて
電話しても繋がらなくて、
会社に来てから、
「やばっ、今日スマホ家に
置いてきちゃった〜」って
あっけらかんと笑ってるくせに、
誰かが忘れ物をした瞬間、
「なんで忘れ物なんかするの?」
「ちゃんと家出る前確認
しなくちゃ」
と、思わず言ってしまう。
矛盾してる?
そう、めちゃくちゃ
矛盾してる。
でも、ADHDの
脳の中では
“今起きた出来事”
と“さっきの自分の行動”は
別のフォルダに入ってる。
矛盾なんてしてない。
脳内フォルダ管理が
バラバラだから、
自分の行動と他人の行動を
同じ基準で比べられない。
これがADHDの
“時空のズレ”みたいなもの。
悪意ではない。
ただ、そういう構造で
動いてるだけ。
●接客の現場での「ピンとくる瞬間」
私は接客の仕事をしている。
初対面でお客様と会話する中で、
“あ、この人、私と同じ側だ”
と感じる瞬間が
月に5回はある。
言葉のテンポ、話の順序、
間の取り方、視線の動かし方。
そういう細かいリズムに、
ADHDの“匂い”がある。
そしてHSPの
私は、その匂いを
嗅ぎ分ける。
たとえば、
私がまだ説明の途中なのに、
「それって〇〇ってこと
ですか?」と
急に割り込んでくる人。
普通なら「話、最後まで聞いて」
と思うけど、私はわかる。
今どうして発言したのか。
それ、思いついた瞬間に
言葉にしないと、
頭から消えてしまうからなんだ。
だから、私はにっこり笑って、
「そうそう、そこなんです」
って言う。
相手の“特性”を責めずに、
“リズム”として受け止める
ようにしている。
●特性を知らない人には、
ただの「失礼な人」
けれど、この特性を
知らない人からすると、
ADHDの人の行動は、
ただの「自己中心」に
見えてしまう。
自分の非は軽く流すのに、
他人のミスには口を出す。
説明の途中で割り込む。
注意されてもピンとこない。
でも、それは“育ちの問題”
でも、“性格の悪さ”でもない。
脳の信号の速度と、
順番の問題なのだ。
感じたこと→言葉、
の変換が早すぎるだけ。
ADHDの人は、
「相手を傷つけよう」
と思ってない。
(大部分の人は、
そうだと信じている)
むしろ、正しさや秩序
を守りたい一心で動いている。
その“正しさの衝動”が、
時に人を遠ざけてしまう
という、悲しい構造。
● やさしさを先に置く練習
最近の私は、指摘したくなったとき、
一呼吸おくようにしている。
「いま言って相手は助かる?
それとも傷つく?」
と自分に聞く。
ADHDの私は瞬発的に
動くけど、
HSPの私はそのあと
必ず後悔する。
だから、呼吸を1回挟む
だけで、だいぶ未来が変わる。
そして、相手が同じ特性を
持つ人なら、
そっと“理解の目”で見守る。
言葉で修正せず、空気で整える。
それが、私にできる小さな
優しさだと思う。
🔳 まとめ
発達障害とHSPの
交差点で生きていると、
人との関係はいつも
“少しだけ複雑”になる。
でも、その複雑さの中に、
人間らしさと深い理解がある。
「失礼な人」と見られる
瞬間も、「気にしすぎる人」
と言われる瞬間も、
どちらも私だ。
矛盾の中で、私は今日も、
人との距離を測りながら
生きている。
そして、その不器用さを、
少しずつ“個性”として
愛せるようになってきた。
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