ムスメへ、ごめんね、そして、ありがとう。 | きれいで美味しい私のビューティフルライフ

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ここ数日、とにかく悲しくて悲しくて、、どうしようもできません。

理由はいろいろなんですが、「愛の欠如」、、、誰からも愛されない悲しさがめいっぱい出て来ました。


ムスメは自分の世界を持ち始め、その人たちと過ごす時間が一番大事な時間となり、

私以外の人をスピリチュアルマザーと呼び、アイラブユーと互いに言い合い、いつの間にか私の存在はどこかにいってしまいました。実際、子供が自分以外の人を母と呼び慕うのは、これ以上ない悲しさでした。


子供が成長する時の疎外感は、どの母も味わうものですが、

子供を十分に愛せなかった後悔を持つ母親は、その悲しみを非常に強く感じるのではないでしょうか。

本当に、、どこかに消えてしまいたいような、、悲しさでした。


そのことを友人のえるちゃんに話しました。そしたら、、彼女がこう言ってくれたんです。

「本当に悲しいね、、でも高い意識で客観的に見ると、、くりちゃんを癒そうとする大きな愛が、その人を介して無条件のディバインの愛を与えようとしている。全てディバインの意図の元で動かされている、、、3人が必要な体験をし成長させようとする大きな意図、、、」


ムスメは無条件に愛してくれる存在を求めていました、

ディバインマザーの役をしてくれた人も彼女のプロセスとしてその体験が必要でした、

そして私も、究極の悲しみを体験し、その奥にある子供への愛を見つけることが必要だったのです。


このことが子供の中にある大きな感情のブロックに気づかせてくれました。

私がそうだったように、、、、ムスメも愛されないさみしさの中、恐怖が一杯で、、これ以上感じたくないと感情を強くブロックし固く閉ざしていたんです。

だから、ムスメは小さいときの事は何も覚えていないと言います。自己防衛反応だったんですね。


親が心に傷を追って、強くブロックしているうちは、その奥にある愛を表現できません。

無理なんです。

それが分からずに、無理に愛を表現しようとしたり、自分を責めたりして、、、結局上手く行かず、、もっと大きな傷を負います。


愛は作るものではなく、元々あるもの。

それが正しく表現できない時、その思いは破壊するしかなくなり、自分自身を傷つけることになります。

自分の胸を刃物で刺すように、いっぱいいっぱい傷つけてしまいます。


インドのアバターが教えてくれたこと。

自分を愛するには、「自分が自分を嫌っていることに気づき、そこに留まってください」というものでした。


自分を受け入れようにも受け入れるフリになっていまい、受け入れることも愛することもできないとき、

この教えに出会いました。それ以来、その教えを実践し、イヤな自分、どうしようもで着ない自分とトコトン向き合ってきました。やっと何かを発見した気がします。


愛は作るものではなく、内側に存在するもの。

誰の中にも存在するもの。

そして発見するもの。


まだまだ内側にはいろんな抵抗があります、「あれはイヤ」とか、「これは違う」とか、騒ぎます。

私ができることは、その一つ一つに留まって、感情を体験し、ルーツを見出し、、

同じことの繰り返しですが、それが誰かの助けになることを願っています。