ふと洗濯している時、亡くなった母のことを思い出しました。
私の父は母が末期のガンであると知り、、そのショックで持病の肝硬変が悪化し、、、あっという間に母より先に逝ってしまいました。まだ、母が入院中のことです。
母の体を心配した私たちは、母には父の葬儀には参列しないようにと、
「せめて最後の別れをしたい」と言っていた母を無理やり病院にいさせました。
そのときの事が、、ふと脳裏に蘇ってきました。
「長年連れ添ったお父さんなのに、、私が見送りたい、、」母はこう言っていました。
ケンカばかりしていた夫婦でした。何度離婚の危機があったでしょう。
でも、母にはかけがえのない夫だったんです。
長年連れ添った夫を見送れない悔しさ、、十分に泣く機会さえ与えられなかったこと、、
そして、母がそのときの気持ちさえ心の中に封印していたことに、、ハッと気が付きました。
「お母さん、、ごめん、葬式で泣くことさえできなかったね、、」
「全部、封じ込めたんだね、、ごめんね、、、」
母の写真の前で手を合わせ、そう言葉をかけたら、、、、涙がとにかく止まりません。
またまた、大泣きです。そして、分かりました。
こんなに母も泣きたかったんだ、、我慢させてしまったんだ、、
「お母さんは、お父さんの事、嫌いなところもあったけど、でも好きなところもあったんでしょ、、」
なんか自然にこんな言葉が出てきました。
いつもケンカばっかりしていましたが、、それでも互いに支えあって長年連れ添ってきました。
キライだけだったらできないことです。
「でも、お父さん、好きだよ」って、言えなかったんだね。
分かって欲しいから、イライラして怒ってばっかりいたんだね。
お父さんだって、、「お母さんは怒ってばっかりで、イヤだ」、と言いながら、
困ったときはいつも頼りにしてたし、心の中では感謝していたよね。
だから、母がガンだって分かった時、「自分が身代わりになったらよかった、、」って、私にボソッと言っていたよね。「お母さんの事、頼む」って、そう思って、お父さんは先に逝っちゃったんでしょ。
自分がいたら迷惑かけるって、思ったのかな?金銭的な心配もあったし、
「オレが先に逝くことで保険も入るし、お母さんの事を頼む」って、、
もう話すことはできなくなっていたけど、お父さんの目がそう言っていたもの。
過去のいろいろな出来事が、明確になってきます。
「お母さんもお父さんも、二人とも本音が言えなかったんだね。」
言えなかった言葉や感情だけが、、どっかに残されて、、子供達に受け継がれ、
私も弟も、大事な家族に素直になれないでいたけど、それも開放されたね。うんうん!
だって、光の中で、父と母が手を取り合って高いところへ行くのを感じたから、きっと子孫にも恩寵があるはず。うふ。