※大宮妄想小説です
「惜しみなく愛は」シリーズの二人の夏のお話
お付き合いして数年目のある休日、二人暮らしの家でゆっくり目覚めてから出かけるまでの、何も起こらないお話です
全四話、三話目
「来月も楽しみだし、三年後の三作目も楽しみです。だいぶ先ですけど」
「オリンピックよりはスパンが短い」
ふふふ、と和也が笑う。
随分と機嫌がいい。
「随分と機嫌がいいな」
俺の脳はときどき口と直に繋がってしまうことがある。
和也と二人きりで、うんとリラックスしているときにだけ。
「嬉しいですから」
「コーラを飲むのが?」
「あはは。それもですけど」
和也は南向きの窓に歩み寄った。
レースのカーテンの端をつかみ、優しい手つきで引っ張る。
真夏に特有の霞むような強い日差しが、和也の髪を茶色く透かして揺れた。
「三年後も一緒に映画を観て、三年前に二作目を観ましたねって話すんですよ、俺たち」
肩越しに振り返る和也の睫毛が白く光った。
ふいに意識が遠くに飛び、三年後から突然いまこの瞬間に戻ってきたような錯覚に陥る。
その錯覚を振り払えないまま、俺は目の前の恋人をひどく懐かしい気持ちで見つめた。
「……三年後には、一作目と二作目を続けて復習するかもしれない」
「いいですね」
「思い出話に花が咲くな」
想像して頬が緩む。
語るまでもない思い出を語り合えるのは幸福なことだ。
「一作目は初めての映画館デートでしたねって話したりするんでしょうね」
「少し気恥ずかしいな」
「智さん塩味とキャラメル味どっちが好きかなって、あのときはすごく悩んだんです──なんて打ち明け話もしますよ、たぶん」
「……そうだったのか?」
「俺、実はキャラメル味もけっこう好きなんですけど、子どもっぽいと思われるかなって」
いつもより早口で話す和也の横顔に、まだ「二宮」と呼んでいた頃の面影が重なって見えた。
「そういう可愛らしい話は、出し惜しみせず言ってくれないか」
こんなふうにおもいがけない打ち明け話を聞くたび、海から遠く離れた場所で貝殻を拾い上げたような気持ちになる。
どんな海で生きていたのかと思いを馳せることしかできないもどかしさを、俺の恋人は分かっているのだろうか。
彼が一人で勝手に大人になってしまったことを、俺は未だに根に持っている。
そうしたかった想いは理解できても、和也の愛情の深さにどれだけ胸を打たれても、好きな相手のかけがえのない時期を見逃した口惜しさは簡単に割り切れるものではない。
だからこそ、もう一瞬たりとも見落としたくないと思う。
せめて俺の隣にいる彼の姿だけは。
「俺だって恰好をつけたいときもあるんです」
俺の胸中など知るはずもなく、和也は軽く肩を竦めるだけで取り合わなかった。
そういうことをさらりと言ってしまえる時点で、十分すぎるほど男前だと思う。
白旗をあげるしかない。
俺はひっそりと深呼吸をした。
ついでにもう一つ負けておくことにする。
「実を言うと、俺はあの映画の内容をほとんど覚えていない」
和也は訝しげに眉を寄せた。
「寝てはいなかったですよね……?」
「もちろん起きていた。だが、カズが隣にいたからな」
琥珀色の瞳がぱちりと瞬く。
一瞬遅れて、和也は絵に描いたような呆れ顔になった。
「そんな、中学生じゃあるまいし」
「カズの前ではいつでも少年の気持ちなんだ」
「前も聞きましたよ、それ」
声は冷ややかだが、耳は火傷したように赤い。
もっともこの場合、赤面すべきは俺の方だ。
よく覚えている。
皆が息をひそめる暗闇の中、スクリーンの光に縁取られた恋人の瑞々しい輪郭。
やけに耳につく衣擦れの音。
肘掛けの上で意図せず触れ合う、冷房で冷えた二の腕の感触。
主演男優の演技も有名監督の演出も悪くなかったが、スクリーンの中で繰り広げられる劇的な展開を差し置いて、隣に座る恋人の存在にばかり胸が騒いだ。
あの頃から俺は少しも進歩がない。
美人は三日で云々などという俗な言説があるが、何年経っても、毎日寝起きを共にするようになっても、和也には飽きるどころか慣れもしない。
俺の恋人は常に可愛らしく凛々しく心優しく、ときにあどけなくときに艶やかで、予測不能な言動でもって息をするように俺を翻弄する。
あながち冗談でもない⎯⎯おかげで俺はいつまでも、恋を覚えたての少年の気分なのだ。
続く
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