※大宮妄想小説です
オメガバース(α、β、Ω)のある世界線で生きている二人
お話の都合上、メンバーの年齢差やにのちゃんの家族構成(にのちゃんは大家族)、田舎育ちなど全てフィクション
大野智は、その少年に恋をしていたわけではなかった。
大野の東京での生活は、築二十年だという狭いアパートの一室で始まった。
大学進学にあたり、両親はもっと条件のいい住まいを色々と探してくれていたが、大野自身はそこまで住む場所にこだわりがある方ではない。
きちんと自炊ができる気もしないから、家には風呂とトイレと寝る空間さえあれば十分で、それならば家賃が安いに越したことはなかった。
もっとセキュリティのしっかりしたマンションの方がと、特に母はしきりに心配していた。
それを押し切って自分が選んだアパートで暮らし始めたのは、いま思えば妙な意地のようなものもあったのだろう。
本当は実家を離れたくはなかった。
両親と姉とともに、大野は幸福で平凡な十八年間を過ごした。
父は仕事が多忙で家を空けがちではあったが、母と姉と三人で父を労り、支え合って暮らしてきた。
そんな日々が続いていくものだと思っていた。
──自分の持てる能力は、人のために使わなければならない──
高校二年生の夏休み、過労で倒れた父が、二人きりで向き合った病室でそう言った。
恐ろしく静かな、優しくも厳しい眼差しだった。
──いつでも、より多くの人の助けになる道を探しなさい──
両親は、大野が東京の大学に進学することを望んでいた。
第二性について学ぶのはどうかと勧めたのは母だった。
本来は父も母も、息子の進路にあれこれ口出しをするような人ではない。
だから当時は訝しみつつ、病床にある父も望むのであればと消極的な理由で進学を決め、後ろ髪を引かれる思いで上京した。
両親は当時、大野がαであることを受け入れられずにいたことに、恐らく気づいていたのだろう。
地元に大野以外のαが皆無だったわけではないが、少なくとも大野と同世代の人間にはいなかった。
第二性が判明して間もない頃から、大野は何かと注目され、噂され、やっかみを受け、遠巻きにされ、あるいはすり寄られた。
他人のことはあまり気にならないたちではあったが、だからといって不快にならないわけではないし、ある程度の実害もあった。
そういう状況が何年も続けば、どうしたって嫌気も差す。
端的に言えば倦んでいた。
両親の勧めは、環境を変え視野を広げ、もっと楽に息ができるようにという親心によるものだったに違いない。
大学では第二性を巡る歴史について、世界の状況と課題について、望ましい社会機構の在り方について──様々なことを学んだ。
どれも学問として興味深くはあったが、どこか他人事のように思えた。
ただ学んでいくうちに一つのことが分かった。
第二性が発見されておよそ百年が経つが、人間はまだそこを扱いかねているのだ。
第二性に起因する身体的・社会的な苦しみが──大野が経験したものなど遥かに凌駕するそれが、この世界には無数に存在しているのだと知った。
苦しむ人は少ないほうが良い。
自分がその助けになれるのなら尽力すべきだ。
そのために今できる努力をする──まずは一学生として勉学に励むこと。
やるべきことをやると心に決め、そしてその通りに過ごした。
だがどこか、光の届かない水底を泳ぐような日々だった。
転機が訪れたのは、入学して一年が経った頃のことだ。
同じ地元から医学部に進学していた櫻井に、第二性包括支援センターの仕事を手伝わないかと誘われたのである。
大学内にセンターの研究部門があり、センターの事務局も大学の敷地に隣接していることは知っていた。
それもあって、アルバイトのような形でセンターの業務を手伝う学生は少なくないのだという。
医学部の学生は特に、学生のうちからほぼ職員と同等の業務に当たり、そのまま卒業後にセンターに就職することもままあるらしい。
「とにかく人手が足りない。その上、役に立つ人間が少ない」
幼馴染みの辛辣さは大学生になっても相変わらずだった。
櫻井から声を掛けられては無下にはできないし、自分の学んだことも多少は役に立つかもしれないと考え、引き受けることにした。
大野が担当したのは、第二性に関する相談受付・回答業務だった。
学生の多くが振り分けられていた仕事だ。
第二性のことで肉体的・精神的な悩みを抱える人が直接センターにメッセージを送ってくることもあれば、そういった人が受診した医療機関や相談窓口を経由してセンターに繋がり、継続的にメッセージのやり取りをすることもある。
第二性に関する相談は、相談者固有の事情を知らなければ対応できないものがほとんどだ。
したがって回答に当たっては担当者を決め、その担当者が相談者とやり取りを続けるのが原則だった。
必要があれば医師やカウンセラーに助言を求めるが、多くの場合はセンターに蓄積されたノウハウにより回答が可能で、難しい仕事ではなかった。
大野がメッセージのやり取りをした相手にはαもΩもβもいたが、皆それぞれに各々の立場ならではの悩みや問題を抱えていた。
「相手の顔が見える」ということが自分の心にもたらす影響には、正直言って驚かされた。
それまで頭の中に単なる概念として存在していた「助ける相手」が、一人一人血の通った人間として大野の前に浮かび上がってきた。
とりわけ地方在住のαやΩは、絶対数が少ないだけに周りから過剰な注目を浴びやすく、それだけ悩みも深い傾向にあった。
とても他人事とは思えず、もっと丁寧に、もっと心に寄り添った回答をしようと必死になって日々を過ごした。
本当に久しぶりに──心に火が灯ったようだった。
そうした日々の中で、大野は二宮和也という未分化の少年のことを知る。
続く
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