※大宮妄想小説です

オメガバース(α、β、Ω)のある世界線で生きている二人

お話の都合上、メンバーの年齢差や大宮の家族構成など全て妄想

 

 

 

 

今日はどうも、いいところがないな俺は───

 

ため息をついてキッチンを離れ、ダイニングテーブルの上に視線を落とす。

 

基本的にテーブルの上には食事のとき以外、何もない状態に保っている。

 

今はそこに一通の封筒と、黄色の目をした鳥のペンが置いてある。

 

食事作りに取り掛かる前、家族への手紙を書いていたのだ。

 

椅子に腰掛けてペンを手に取り、意味もなく鳥の飾りを指でなぞった。

 

家族への手紙の内容はいつもとそう変わらない。

 

大学の授業のこと。

 

友人のこと。

 

体調のこと。

 

最近食べた美味しかったもの。

 

最近見た綺麗な景色。

 

それから大野のこと。

 

家族一人一人の顔を思い浮かべながら、どう過ごしているかと思いを馳せながら文字を綴った。

 

文字を綴りながら、和也の意識は何度も懐かしい故郷へと舞い戻った。

 

実家の裏には小さな山があった。

 

春には山桜が咲く、夏には怖いくらいの蝉時雨が降り注ぐ、秋にはたくさんのドングリが転がる、冬は雪が積もって登るのに難儀する──そんな山だ。

 

小さな山だが、たまに野兎に出会うこともある。

 

冬以外の季節に登れば必ず虫に刺される。

 

実がなる木が多いため、いつも鳥の鳴き声に満ちている。

 

和也はろくに遊歩道も整備されていないその山が、小さい頃から好きだった。

 

辛いことがあったときは、山の頂上に一人で登った。

 

頂上にはいつ誰が置いたのかも分からない、木製のベンチが一つ。

 

そこに腰掛けて空を見上げ、鳥の声に耳を澄ませた。

 

あの春の日に未分化と診断されてから、山に登る頻度はぐんと増えた。

 

いつか大人になったら、そのときはこんなふうに一人、山の上で泣いたりしてはいけないのだと思った。

 

早く強くなりたい、自分の足で立てる大人になりたいと思った。

 

両親もきょうだいも、誰も泣かせなくない。

 

誰にも心配をかけたくない。

 

そのために強くなりたかった。

 

一人で生きていけるように。

 

大野に惹かれるのは、その曖昧な「強くなりたい」「大人になりたい」という思いに、彼が確かな輪郭を与えてくれたからなのだと思う。

 

大野はこれまで和也が出会ってきた他の誰とも違っていた。

 

強くて優しい。

 

ときどき突拍子もないことを言い出すこともあるし、何を考えているのか分からないこともあるけれど──それ差し引いても、そばにいると安心できる。

 

……安心してしまう。

 

強くなりたい、大人になりたいという思う気持ちは変わらないのに、なぜだろう、大野の前では少し、その気持ちが緩んでしまう。

 

決意が揺らぐというわけではない。

 

ただ、もっと気持ちが柔らかくなってしまう。

 

不思議な人だなと、碧空のような笑顔を思い浮かべていたそのとき、玄関からドアの開く音がした。

 

少し間を置いて大野がリビングに入ってくる。

 

 

「おかえりなさい、智さん」

 

 

体ごと振り返って声を掛けると、視線をこちらに向けた大野の表情が明るく和らいだ。

 

 

「ただいま」

 

 

毎日のやりとりではあるが、和也はこの瞬間が好きだった。

 

この挨拶を交わすたび、ここが自分の家なのだという思いが強くなる。

 

安心する。

 

だが今日はそれだけでなく、大野の優しい笑顔と声にひどく胸が高鳴った。

 

 

「体は大丈夫か」

 

「もうすっかり平気です」

 

「食事を作ってくれたのか、ありがとう。無理させていないか」

 

「いえ、本当に簡単なものなので」

 

「素麺か、うまそうだな」

 

 

そんな会話をしながら大野は荷物を置き部屋着に着替え、和也は素麺を鍋に放り込んだ。

 

向かい合って素麺を食べているあいだも、台所の片づけをしているあいだも、順番に風呂に入って寝る支度をしているときも、大野の様子はいつもと全く変わらなかった。

 

いつも通り和也に穏やかな眼差しを向け、明るい声で話をしてくれた。

 

だから和也も努めていつも通り振る舞うように心がけた。

 

本当は、素麺を啜る大野の唇の動きにも、皿を洗う長く骨ばった指が濡れて光るさまにも、見慣れたはずの大野の寝間着姿にも、自分でも呆れるほどいちいち動揺してしまった。

 

大野の何を見ても、昨晩のあれこれを思い出してしまう。

 

これが噂に聞く煩悩というやつなのだろうか。

 

二人並んで布団にもぐり込むときになると、いよいよ和也の心拍数はおかしなことになっていた。

 

大野がサイドテーブルの電気を消そうと半身を起こす。

 

電気が消えたらきっと、やはりいつものように、大野は手を繋いでくれるのだろう──それだけの触れ合いなのだろうと、そう思ったら体が勝手に動いていた。

 

気づいたときには大野の寝間着の袖をぎゅっと掴み、引っ張っていた。

 

大野が驚いた様子で振り返る。

 

紺桔梗色の瞳が戸惑いに揺れている。

 

 

「あの、智さん」

 

 

触れてほしい。

 

手だけじゃなく、もっと。

 

 

「してくれませんか、……昨日みたいに」

 

 

こんなことを言ったらおかしいだろうか。

 

きっとおかしいだろう。

 

そう思いつつも止められなかった。

 

昨日知ったばかりの温度が、恋しくて仕方なかった。

 

大野は黙ったまま、じっと和也を見つめ返している。

 

何を考えているのかその表情からは伺い知れないが、じりっと射るような視線が痛いくらいだ。

 

 

「その……松本さんが、治療のためにも好ましいことだって言ってたでしょう。また外で倒れたりしたら智さんに迷惑かけちゃうかもと」

 

 

迷惑、という単語を口にした途端、大野の目が尖る。

 

慌てて言い直す。

 

 

「心配を、かけたくないから。……薬をまた増やせば平気かもしれないけど、でも」

 

 

サイドテーブルのライトの光は淡い橙色をしている。

 

その橙色の光が、大野のすっと通った鼻筋に美しい陰影を形作っている。

 

 

「……もし智さんが嫌じゃなければ」

 

 

体調を口実にして、この優しい人に浅ましい欲を押し付けようとしている自覚があった。

 

後ろめたくてたまらないから、せめて目を逸らすまいと決めて、真っ直ぐに大野を見上げる。

 

きっと顔ばかりか耳まで真っ赤にして情けない顔になっているに違いない。

 

 

「カズは」

 

 

大野が体ごと和也に向き直る。

 

ひどく真剣な顔をしていた。

 

 

「カズは嫌じゃないのか」

 

 

なぜか懇願するような声に聞こえた。

 

目を合わせたまま和也が一つ頷くと、大野は長い睫毛を伏せて和也の手を取り、指を絡めてきた。

 

その手をそっと持ち上げ、和也の手首の内側の皮膚にそっと口づける。

 

大野の唇が触れたのは手首の一点だというのに、なぜ足先にまで痺れが走るのだろうと不思議だった。

 

慎重に吐き出した息が、それでも震えてしまう。

 

その微かな音を合図にしたように、大野はゆっくりと和也の上に覆いかぶさった。

 

 

 

 

続く

 

 

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