※大宮妄想小説です

オメガバース(α、β、Ω)のある世界線で生きている二人

お話の都合上、メンバーの年齢差やにのちゃんの家族構成(にのちゃんは大家族)、田舎育ちなど全てフィクション

 

 

 

 

とんとんとん、と野菜を刻む音。

 

ぐつぐつと湯が沸く音。

 

シンクに水が当たって跳ねる音。

 

台所の音はすべて心を落ち着けてくれる。

 

実家にいた頃も、どうにもならない気持ちを持て余したときは、台所に逃げ込んで時間のかかる料理ばかり拵えた。

 

和也はちらりと壁の時計に目をやった。

 

午後六時。

 

大野が帰ってくるまで、まだ少し時間がある。

 

たっぷりと湯が入った大鍋に蓋をし、火をごく弱火にする。

 

まな板の上には細かく刻んだ薬味が載っている。

 

その横の皿には湯がいた豚バラ肉と蒸した長茄子。

 

さらに横には大根おろしが入った特製のつゆ。

 

もうあとは、大野が帰宅したら素麵を茹でるだけである。

 

やることがなくなってしまった。

 

ついため息が漏れる。

 

そう、台所仕事は心を落ち着けてくれるから、本当はもっと手の込んだものを作りたかった。

 

だがそんなことをすれば大野の気遣いを無下にすることになる。

 

数時間前の大野の真剣な顔を思い出す。

 

 

──昨日の今日だから、今日は何もせず寝ていてほしい──

 

 

渋い顔をする大野に、夕食くらい作れます、ごく簡単なものにしますからと言ってなんとか押し切ったのだ。

 

はあ、とまたため息が出てしまう。

 

今朝はそれなりに気まずかった。

 

目覚めたとき、自分の頬の下にある大野の腕の感触と、胴体を抱えるように巻きついているもう片方の腕の重みと、後頭部にかかる吐息の温度に、本当に息が止まるかと思った。

 

実際には息は止まらずに、ひぐっという間抜けな声が漏れた。

 

その声で起きたらしい大野が、ゆっくりと腕を緩めて体を離し、おはようと呟いた。

 

昨日は少し飲みすぎたと言葉を続けてから、いやすまない、そんなことはないと頭を振っていた。

 

寝惚けていたのか、なんだかいつもの彼らしくなく、どこか萎れて見えた。

 

シャワーを浴びて歯を磨いて、大野に付き添われて病院に行った。

 

診察を受け松本とも話したが、和也の体は現在、特に大きな問題はないという。

 

未分化の体は元々とても不安定なものだから、いつ昨夜のようなことがあっても不思議ではないのだそうだ。

 

確かに接触療法を受ける前のことを思えば、ここ数ヶ月が安定しすぎていたのだとも言える。

 

そこまでは良かったのだ。

 

 

──と言いますか、むしろものすごくフェロモン値の状態が良いんですよ。かつてなく──

 

 

モニターを見つめながら、松本は右に左にと何度も首を傾げた。

 

 

──発作を起こした直後とは思えないくらいなのですが……昨日はいつも通りの触れ合いをされたんですよね? 何か特別なことがありましたか?──

 

 

不思議ですねえ、どうしたらこんなに数値が良くなるんでしょう、要因が特定できれば今後の治療にも生かせるかもしれないんですがという松本の言葉に、そうか自分のデータが自分以外の人の治療の役にも立つのかと妙な感動を覚えた。

 

それでつい、隣で若干居心地が悪そうにしている大野の気配にも気づけず、口から滑り出てしまったのだ。

 

 

──昨日大野さんが俺のことを舐めましたけど、それが関係あるんでしょうか──

 

 

ああいうのを、空気が凍ると言うのだろう。

 

 

「もっと言い方ってものがあったよなぁ……」

 

 

思わず独りごちる。

 

松本は大人で冷静だった。

 

一瞬固まりはしたが、すぐに気を取り直した様子でにっこりと微笑み、どの部位をどの程度の時間舐めましたかと尋ねてきた。

 

そこからの説明は、失言を自覚し俯くしかなくなってしまった和也に代わって大野が引き受けてくれた。

 

可能な限り差し障りのない表現で。

 

唾液が皮膚に直接付着することで、単に空気中のフェロモンを浴びるより強く、αのフェロモンの影響を受けたのだろう。

 

そしてそれが好ましい効果をもたらしたのだろう──それが松本の見解だった。

 

このことは個人名を伏せて、センターの研究部門にも共有しておくという。

 

有益な情報と判断されたようだ。

 

 

──何がどう影響するのか分かりませんし、それがプラスの影響とも限らないので、次からは新しく何か試みる前に相談してもらいたいですね。まあ唾液を皮膚に付着させるのは治療上好ましい効果がありそうなので、今後も続けてもらって構いませんよ。その辺りは体調を鑑みて、お二人で相談してください──

 

 

松本との面談を終えて部屋を出たあとの、あのなんとも形容しがたい空気といったらなかった。

 

今日は講義には出ず家で休んでいてほしいと大野に乞われたとき、大丈夫ですと強く言えず素直に従ったのも、もうあの場からあれ以上顔を合わせていることに耐えられなかったからだ。

 

一人で帰宅したあと、あまりにも手持無沙汰で風呂掃除を始めたのだが、すぐに後悔した。

 

いわば昨夜の事件現場である。

 

浴室の床をスポンジで擦りながら、智さんは体温も高いけど口の中はもっと熱いんだななどと考えてしまい、うっかり洗剤のついた手で顔を覆いそうになった。

 

 

 

 

 

 

続く

 

今回のニノちゃんは山奥育ちの18歳、未分化のことで学校に通えていなかったという背景もあるため、恋愛ごとにはとにかく疎いです。
 

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