※大宮妄想小説です

長期連載が控えてますが本格的な夏が来る前に短編をあげようと思います

長年友人関係な二人

三話完結、最終話

 

 

 

 

「腹圧が低すぎるんじゃないか」

 

「大野さんのせいだよ、変なこと言って」

 

 

ニノが勢いよく頭を上げ、弾かれた手が再び肩へと滑り──そこで俺たちは二人同時に息を呑んだ。

 

思えば俺が顔を近づけすぎていたのだろう。

 

俺とニノは、鼻先が触れ合わんばかりの距離で見つめ合った。

 

照明に茶色く透ける瞳の中に、情けなくたじろぐ男の顔が映り込んでいる。

 

ニノの息遣いが間近で聞こえる。

 

じわりと体温が伝わる。

 

……どうしてここで黙るんだ。

 

肩に回した手に無意識に力がこもった。

 

それに促されるように、ニノが僅かに身を寄せてくる。

 

鼻と鼻が触れ合い、吐息が唇を湿らせ──そこで奇跡的になけなしの理性が息を吹き返した。

 

 

「これは良くないな!」

 

 

ニノの肩を抱く手を意思の力でもって引き剥がし、背筋を思い切り伸ばして距離を取る。

 

忘れていた呼吸を再開すると、遅れて心臓が激しく脈打ち始めた。

 

ニノは夢から覚めたようにぼんやりしていたが、やがて脱力した笑みを零した。

 

 

「びっくりした」

 

「雰囲気に流されるところだった。人肌恋しい季節だからな」

 

「危ないところだったね、歴の上ではもう春だけど」

 

 

さすがに照れくさくなったのか、ニノの目はやや泳いでいる。

 

 

「……本当に良くない。こういうのは好きな相手とじゃないと」

 

 

噛みしめるような声に、心臓が音を立てて軋むのが分かった。

 

痛い。

 

なぜニノはこうも的確に急所を突いてくるんだ。

 

 

「大野さんだって嫌でしょう。男同士なんだし」

 

「随分こだわるんだな」

 

 

つい声に苛立ちが滲む。

 

 男同士だろうがなんだろうが、ニノは好きな相手とならキスがしたいし、もしかしたらそれ以上のことだって望んでいるのかもしれない。

 

当たり前だと思うのに、その事実は毒のようにじわじわと俺の神経を苛んだ。

 

 

「……ニノはどうか分からないが、俺は少しも不愉快じゃなかった。だいたい──」

 

 

男だからなんだというのだ。

 

そんなものがニノや俺のなにを決める?

 

グット、いいね、共感ボタン。

 

口コミ、レビュー、星いくつ。

 

高評価が物の価値を吊り上げ、低評価が人の価値を貶める。

 

これは良くてあれは駄目。

 

誰しも絶賛するから間違いない。

 

皆が否定的だからやめておこう。

 

雁字搦めの価値観に、数は正義で暴力だ。

 

他人の評価だなんてそんなもの、何の当てにもなりはしない。

 

毒で麻痺した脳は言うことを聞かなかった。

 

口と舌が勝手に動いて次の言葉を吐き出す。

 

 

「俺は、キスをするなら相手はニノがいい。ニノ以外には考えられない」

 

 

きっぱりと言い放った途端、いつの間にか背中に汗をかいていたことに気づいた。

 

クッションの下敷きになった左脚もじっとりと湿っている。

 

暑くてたまらなかった。

 

ニノは口を半開きにして俺を見つめ返している。

 

真ん丸に見開かれた両目の下が赤くなっているのは、やはり暑いせいなのだろうか。

 

永遠のような数秒の沈黙のあと、ニノは一度きゅっと唇を引き結び、小さく息を吸い込んだ。

 

 

「俺も」

 

 

声はやけに大きく響いた。

 

聞き間違えようがないほどくっきりと。

 

恐らく俺はいま、数秒前のニノと同じ顔をしていることだろう。

 

今日交わした会話の全てが、頭の中で巻き戻って高速再生される。

 

 

──好きな人ができたらどうする。

 

男の人だったら。

 

俺がそんな気持ちでいるなんて想像もしていないだろうし──

 

 

「……俺も?」

 

 

呆然と聞き返すと、ニノは力強く頷いた。

 

愛してやまない柔らかな声が、俺も、と繰り返す。

 

……俺もというのは、どれにかかる言葉だろうか。

 

そう考えて、どれでも同じかと思い直す。

 

俺がニノに言ったことは──いや、そもそもニノといるときの俺の言動など、ひとつ残らず全て同じ意味合いなのだ。

 

ついさっきニノを抱き寄せていた手は、いま床の上にある。

 

汗で湿ったその手にニノの手のひらが重なっていた。

 

一回り小さな手のひらもまた、しっとりと汗ばんでいる。

 

その感触に陶然としながら、人生設計をもう一度やり直す必要があるなと頭の隅っこで考えた。

 

 

「大野さん、俺、少し暑い」

 

「ん……俺もだ」

 

「そろそろ床暖房はおしまいじゃない?   もう春だし」

 

 

瞬きも忘れてニノの目を覗き込んだまま、そうだなと俺は簡潔に同意した。

 

ニノは正しい。

 

まだ寒いと思っていたが、本当はもうとっくに春なのだ。

 

 

「お餅も早く食べ切らなきゃ」

 

「そうだな、春だしな」

 

 

長持ちするものほど、つい取っておいてしまう癖がある。

 

よくない癖だ。

 

どんなものにも賞味期限はあるというのに。

 

 

「砂糖醤油でいってみるか」

 

「いいの? 磯辺じゃなくて」

 

「今日のところは譲ろう。……やり直したあとで良ければ」

 

 

さりげなく手を握ると、ニノも何も言わずに指を絡めてきた。

 

 

「……お手柔らかにね」

 

 

その一言にどんな意味が含まれているかなど、気づかないほど鈍くはない。

 

 

「善処する…」

 

 

体温と汗が二つの手の中で混ざる。

 

阿吽の呼吸で顔を寄せ合った。

 

あれこれ欲張るのは良くない。

 

人生において譲れないものなど、俺にはただひとつだけでいい。

 

 

 

 

 

 

 

ここまでご愛読ありがとうございました。

来週の月曜日から週5回を目標に「その林檎を食むときは」の連載をスタートしたいと思います。

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