※大宮妄想小説です
オメガバース(α、β、Ω)のある世界線で生きている二人
お話の都合上、メンバーの年齢差やにのちゃんの家族構成(にのちゃんは大家族)、田舎育ちなど全て妄想
瑞々しい新緑が風にそよいでいる。
耳に心地よい葉擦れの音に合わせるように、頭上では木漏れ日がきらきらと踊っている。
チチチと高く囀った鳥が飛び立つ一瞬の羽音が、はっとするほど鮮やかに耳に残った。
いい天気で良かったなあ──自然と口の端が持ち上がる。
休日だというだけで体も心もいつもより伸び伸びしている上、陽の光は暖かで、風は土と草の匂いがして、本当になにもかも完璧だった。
そしてこんなに気持ちのいい日にこんなに気持ちのいい場所で、一人ではない、ということがさらに心を浮き立たせている。
「智さんの言ったとおりですね。鳥の声がする」
隣を歩く大野も、鳥の姿を探すように頭上を見上げた。
「カズなら何の鳥か分かるか?」
「鳴き声だけだと難しいですね……羽根の色が見えれば分かるかもしれませんけど」
背の高い木々を首が痛くなるほど見上げても、無数の枝の中から鳥の姿を見つけるのは至難の業だ。
軽やかな囀りだけが降ってくる。
大野は休日も昼間は大学に行っていることが多い。
研究のためだったり、第二性包括支援センターの業務の手伝いだったりするらしい。
詳しくは聞いていないが多忙であることは間違いない。
そんな大野が珍しく今日は一日ゆっくりできると言うので、のんびり散歩でもしようということになった。
少し歩いていくと大きな噴水のある広場に出た。
大野が手にしていたバスケットを反対側の手に持ち替える。
家を出てから何度か繰り返されているそのしぐさに、その都度「代わりますよ」と申し出てはいるのだが、大野は頑として首を振る。
いくら智さんでも重いと思うんだけどな、と申し訳ない気持ちになる。
「あの噴水あたりでどうですか」
「気持ちが良さそうだな」
噴水の淵に腰を下ろし、バスケットを開けた。
せっかくだからピクニックにしようと言い出したのは和也だが、どこからかバスケットを出してきたのは大野である。
男性の一人暮らしの家にそんな代物があるとは思っていなかったので、和也は大層驚いた。
「こんなこともあると思って」と大野は得意顔だったが、ピクニックに憧れでもあったのだろうか──もしかすると昔の恋人が持ち込んだものだったりして、という考えが一瞬脳裏を掠め、そしてその次に、昔のとは限らないじゃないかと思い直した。
大野と暮らし始めてひと月以上が経っている。
生活は順調で、一緒のベッドで寝ることにももうすっかり慣れた。
大野は毎日、和也が夕食を作り終える頃には必ず帰宅している。
だから大野に恋人がいる可能性など考えもしなかったが、付き合い方は人それぞれなのだし、何事も断言はできない。
それに──バスケットから取り出した卵サンドを頬張る大野を、和也はそっと見つめた。
半袖のシャツから伸びたほど良く筋肉の筋が張った二の腕は同じ男である自分にないものだ。
もぐもぐと咀嚼しながら嬉しそうに緩む目尻の形まで、こんなにも綺麗な人を和也は見たことがない。
相葉が言っていたことも頷ける。
つまり大野は間違いなくモテるのだ。
「カズの地元には及ばないだろうが、なかなかいい場所だろう」
大野が水筒からカップに茶を注ぎ手渡してくれる。
「同じくらいいいところですよ。俺の地元は緑は多いけど虫も多くて」
「ここも夏になるとすごいぞ。俺はよく蚊に刺される」
智さん体温が高いから、と口にしかけた言葉を飲み込んだ。
毎晩のことを思い出してしまい、急に照れくさくなったのだ。
ハムときゅうりのサンドイッチを一口齧り、代わりの話題を探す。
「あの、智さんは第二性の研究をしているんですよね。松本さんみたいに医学部ではないんですか?」
「ああ。分野としては社会学のカテゴリーに入るな」
卵サンドを平らげた大野は、続けざまにピーナツバターとバナナのサンドイッチを手に取った。
「……この国では幸い、第二性によるあからさまな差別は昔に比べて随分減った。普通に生活をしている分にはほぼ目につかない程度に」
けどなくなったわけではない、と続ける大野の眼差しに陰が差す。
相葉が言っていたのも恐らくそういうことなのだろう。
和也の地元でも、都市伝説かおとぎ話のようなトーンでαやΩの存在は語られてきた。
大っぴらには言えないし子どもの前では話せないが──そんなひっそりとした空気の中で大人たちが囁き合う気配を、和也も確かに覚えている。
和也に直接語られることはなかったが、きっとあれは良い話ではなかった。
「男女と同じで、第二性が違えば体のつくりも違うのは確かだ。Ωは特に発情期があるし……βともαとも異なる部分が大きいから、よく知らない人間ほど恐れる気持ちが生まれるのも心情的に理解できなくはない」
「恐れる気持ち、ですか」
「知らないものは怖いだろう? 幽霊が怖いのと同じで」
もちろんこの国に限った話ではなく、海外の事情はより深刻なのだと大野は付け加えた。
もっと露骨な差別が存在するだけではなく、その差別が社会の中に当然のものとして根付いている──それが人道的に望ましくないのだという建前すらない国や地域も数多いのだという。
「大野さんはそういうことを研究しているんですか」
「平たく言えばそうだな」
「そういう差別をなくして、社会を良くしていくような仕事を……大野さんは将来するんですか」
もう少し賢そうな語彙があるだろう俺、とこめかみを押さえる。
だが大野は笑わなかった。
僅かに考え込むような間が空く。
大野が手にしたコップから立ち上った湯気が、ふわりと和也の方へと流れてきた。
「どれだけのことができるか分からないが、たとえばカズや俺が、どこにでも自由に行ける世界になってほしいと思う」
白い湯気に溶けるようなその声は、これまでに聞いた大野の声の中で一番静かなものだった。
だからこそ、いま明かしてくれた気持ちが大野にとってとても大切なものだと分かってしまった。
「自由に……」
「嫌な思いや危ない思いをする心配なく、な。──それにしてもカズ、このサンドイッチはどれも絶品だな! これまで食べてきたサンドイッチの中で一番うまい!」
急に溌溂とした声で叫ぶものだから、和也はびくりと肩を揺らし、危うく茶を零すところだった。
ありがとうございますと言いながら、面映ゆさに落ち着かない気分になる。
和也からしてみれば大した手間もかかっていない、ありもので作ったごく普通のサンドイッチなのだ。
「パンが美味しいんだと思いますよ、きっと」
卵サンドに口をつける前に、すんと匂いを嗅いでみる。
小麦の豊かな匂いがした。
サンドイッチに使った食パンは、大学の近くで最近見つけたパン屋のものだ。
パンの種類はそう多くないがどれも味が良く、すっかり気に入って通っている。
「確かにパンもうまいが、そのパンの美味しさをさらに引き出してくれたのはカズの腕だと思う。こんないい天気の日にこんなうまいものを外で食べられて、最高の休日だ。カズはすごいな」
きらきらと目を輝かせ次のサンドイッチに手を伸ばす大野の髪と鼻筋が、初夏の日差しを浴びてひときわ明るく見える。
こうして大野のそばにいると、本当にまるで碧空を見上げているみたいだと思う。
心まで温かくなる気がする。
カズはすごいな、と大野は事あるごとに口にする。
だが和也は、不完全な自分の世話をしている立場でありながらそんなことを心から言える大野の方が、ずっとすごいのではないかと思う。
カズや俺がどこにでも自由に行ける世界に、と大野は言った。
その言葉を聞いたとき和也の脳裏に浮かんだのは、見知らぬどこかの街角を並んで歩く、自分と大野の姿だった。
大野とは出会って間もないというのに、なぜかそれがとても自然な想像のように思えたことが不思議だった。
続く
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