手術の前の夜、

苦しみもがいていた。

 

人工呼吸器の規則的な音が聞こえる。

 

息ができないのに、なぜか苦しいまま生きているという感覚だった。

今、この瞬間に溺れて死んだほうがましだとすら思った。


(こうなる前に死にたかった)

(なぜ生きているんだろう)

 

時計を見ると、大げさではなく

1分が1時間にも長く感じられた。

 

苦しさのあまり何度もナースコールを押してしまう。

 

ナースコールを押し続けてしまう高齢の入院患者の気持ちがわかった。

どうしようもなく、どうにもならないとわかっていながら

一縷の望みをかけてナースコールしてしまう。

 

声が出せないので、手元にあったスマホの画面に、

「苦しいです」「眠れませんか?」と文字を打って看護師さんに訴えた。

 


長い夜が過ぎ、

気が付くと傍に口腔外科の先生がいた。


私が不安にならないようにと色々と説明してくれているのがわかった。

手の甲にマジックで、手術内容を書かれる。

 

そして、意識が朦朧とする中、

何人かに持ち上げられて、ストレッチャーに移されたのがわかった。

 

運んでくれている看護師さんが、

「ちょっと揺れますよ」

「回りますね」

など、説明しながら運んでくれていた。

 

誰かが手を握ってくれたのがわかった。

 

夫だろうか?

と思ったら看護師さんだった。

握り返すと、しっかりと握り返してくれた。

 

その優しさに涙が出た。

 

 

膿瘍はさらに拡大していったため、

さらに手術することになった。

 

手術の説明のために口腔外科の医師がきた。


寝たきり状態の私に合わせて、

ベッド横にしゃがみ込むようにして

手術についての説明をはじめた。

 

私は、何日もICUで過ごすうちにせん妄状態になっていた。

頭もまともに働いていないので、

先生が丁寧に説明してくれていることはわかったものの、

内容が頭に入っていかなかった。

 

・全身麻酔となること、

・問題の歯を抜くかもしれないこと、

・歯科と耳鼻科と共同の手術になること、

くらいしか理解できなかった。

 

寝たきりで動くことも喋ることもできない状態の

私に対しても、

長い時間をかけて説明してくれた。

(医師が皆、丁寧な説明をしてくれるわけではなかった)

 

正確に理解できなくても、

きちんと説明されているのだ、という事実だけで不安は少し和らいだ。

 

 

 

 

 

入院した翌日にICU管理となり、

気管チューブを口から気管の中に挿入する人工呼吸となった。

 

入院から3日目、顎下を一部切開しドレナージ(膿を出すために管を入れる)したものの浮腫は治らなかった。

 

そして、膿瘍は治ることなく拡大していき、

入院から7日目、気管切開し人工呼吸となった。

 

下降性壊死性縦隔炎という診断がされていた。

 

当時の私は、自分がそのような状態にあるとは全くわからなかった。

 

時間感覚もおかしくなっており、一週間以上ICUにいたにも関わらず

入院から3日くらいしか経っていないと錯覚していた。

生死をさまよう時、人は何を考え、何を見るのか。

 

お花畑や三途の川を見るのだろうか、

家族や肉親、ペットや友人のことを思い浮かべるのだろうか。

 

私が苦しみの中で見たのは、家族でも肉親でもなく、

ましてや神や仏でもなく、

上野千鶴子氏だった。

(は?)

 

上野千鶴子先生とは、もちろん面識などはなく、

過去に著書を数冊読んだ程度である。

 

また夢の中で、最後に助けてくれた耳鼻科の先生も現れた。

 

二人のイメージには後光が差していて、

神々しく輝いて見えた。

そして、感謝の気持ちで一杯になった。


二人への感謝状をずっと頭の中で推敲していた。

 

実の母親ではなく、

赤の他人である上野千鶴子や、

一度しか会ったことのない耳鼻科の先生に

母親のような優しさや温かみを感じていた。

 

実の母親については、ほとんど思いを馳せることはなかった。

なんて薄情な人間なのだろうと自分でも思う。

 

でも、そうだった。

 

すっかり忘れていたが、

私が人生で苦しかった時、


その苦しさの原因に気付かせてくれたり、勇気付けてくれたのは、

肉親ではなく、上野千鶴子の本や言葉だったのだ。

 

人は本当に弱ったり死にそうになった時、

自分を精神的に救ってくれたもの、

自分の気持ちに寄り添ってくれた人のことを

思い浮かべるのかもしれない。

 

あちこちで常に鳴り響く機械音に慣れ始めていた。

 

ギュギュギュと床を踏むゴム製のサンダルの音が、

近づいたり遠のいたりして響いている。

 

ほとんど目を開けられず、暗闇の中にいた。


時々、瞼をあけられライトで光を当てられる。

対光反応を確認しているのか?


(やはり死ぬんだ)と思った。

 


時折、泣き声や誰かの名前を叫ぶ声も聞こえてきた。

他の患者の家族らしいということがなんとなくわかった。

ずっと娘の名前を呼び続ける母親らしき人の、悲痛な声が聞こえた。

 

自分では気付いていなかったが、

首はドレナージ処置され、膿を排出するための管が刺さっており、

気管支切開され、人工呼吸器となっていた。

 

人工呼吸器は「溺れているような苦しさ」だと聞いたことがあったが、

実際その通りであった。

 

常に溺れているような息苦しさに加えて、

ベッドが回転し、自分自身もグルグルと回転しているようだった。


過呼吸を何十倍何百倍も苦しくした様な、

人生で味わったことのない苦しさだった。

 

呼吸はできている筈なのだが、

息ができているとは思えない。


声も出せず、身体も動かすことができない。


1分が1時間にも感じられた。

 

この逃れられない延々と続く苦しみは、

死んだ方が楽だと思わせるに十分だった。

 

時々、看護師さんから筆談のためのペンを渡された。

 

薄眼を開けて、書き殴る言葉は

「死にたいです」

「安楽死させて下さい」

といったような言葉ばかりだった。