山口バイオリン、ビオラ教室 相模大野

山口バイオリン、ビオラ教室 相模大野

相模大野南出口徒歩一分。一人一人の個性を重視してレッスン致します。


先日、音楽鑑賞教室のお仕事で、長野県千曲市に行って参りました。

私が所属してます東京室内管弦楽団の弦楽器セクションで、各小学校に行って演奏会をする、というお仕事です。

長野の5月は本当にきれい。新緑の時期で景色を堪能しました。

また、遠くに雪をかぶった白馬連峰や北アルプスが見え、テンションが上がりました。

かなりの学校数を回りましたが、演奏を通じて生徒さんとなんとなくですが通じるものがあったかな、と感じられた時は本当に嬉しいですね。




















2023年も、末になって参りました。


年末のクラシック界隈といえば、まず、ベートーヴェン第九ですが、メサイアも年末に頻繁に演奏されます。理由はわかりませんが。


私も今年はなんと3本!メサイアを演奏する機会をいただきました!

一本目はこちら!



・チケットぴあ

http://ticket.pia.jp/pia/even

https://majoracanamus.com/



ヘンデルが作曲したメサイアをモーツァルトが編曲した、という版を、オリジナル楽器(モーツァルトの時代に使われていたであろう楽器)で演奏します。


これは、モーツァルトの作品だろう!というところもあり、大変おもしろいのでぜひ聴いていただきたいです。



2つ目は


12月2日に青山学院相模原キャンパス


まだ詳細はわからないようです。



3つ目は


こちら!

 

目黒、サレジオ教会での演奏になります。


ぜひ、歴史ある教会の中で、メサイアを聴いていただければ嬉しいです。



そろそろ年末になって参りましたが、年内、本番を頑張っていきたいと思います。


寒くなりますので風邪などにお気をつけて…


大分ご無沙汰してしまいました。


世の中が大分、落ち着きを取り戻した感がありますが、ようやく、私も合唱団との共演のお仕事が戻ってきました。


個人的には今年の春先からゴールデンウィークにかけて、ありがたい事に、ヨハネ受難曲、マタイ受難曲という、バッハの傑作を演奏する機会をいただいております。


バッハといいますと、バイオリンを勉強している人は、スズキメソッドの教本、また無伴奏バイオリン曲など避けては通れない作曲家ですね。といいますか、ほぼすべてのクラシックを勉強している人が避けては通れない作曲家です。


では、バッハは本職はなにをしていたのかと申しますと、長年、ライプツィヒのトーマス カントールという、教会の礼拝の音楽を取り仕切る役職についていました。


バッハの音楽の中で、個人的には、やはり教会で演奏される音楽のウェイトが最も大きいのかな、と思います。

またそのような音楽には、聖書を元にしたテキストに合わせてバッハが曲を書いたのですが、この言葉にこの音楽を当てたのか!!など、テキストをみながら曲を聴く事で、バッハの思考や天才性を感じる事ができると思います。


その中で、教会の受難節に合わせて作曲されたのが、受難曲というわけです。


バッハの作曲した受難曲は、ヨハネによる福音書をテキストに用いたものとマタイによる福音書をテキストに用いたものが現存しております。


ルカとマルコによるものも作曲された可能性は高いのですが、現在は消失してしまいました。


私自身、先日、ヨハネ受難曲の本番を先日3月18日に終える事ができました。

こちらはオリジナル楽器(現代使われているものとは少し異なるバッハの作曲した当時使われていたであろう楽器)を用いてのもので、非常に良い演奏会となりました。個人的には、当時のイエス・キリストのいたエルサレムへバッハが抱いていた憧憬のようなものが感じられました。


マタイ受難曲は5月6日にミューザ川崎で演奏致します。


実は個人的にはマタイ受難曲ははじめてなのですが、どのような世界が広がるのか、非常に楽しみです。

是非お越しくだされば幸いです。





また久しぶりの更新になってしまいました。


世の中も少し落ち着きを取り戻したかと思いますがいかがお過ごしでしょうか。

私は、今シーズン、初めてコンクールの審査員をさせていただきました。


2回ほど審査させていただいたのですが今日はそこで感じた事を記していきたいと思います。


やはりよくいわれていますようにコンクールというのは微妙な審査員の趣味など、色々な要因に左右される事があり、一つの目安として考えていくべきだな、とは審査していても感じました。審査員もやはりかなり迷って点数をつける局面はあるので…



ただ、概ねどの出演者にも指摘できることが



ステージに出て(お客さんに姿が見えてから)楽器を弾くまでがかなり大事!!!



だということです。


たとえばはじめて食べるお菓子を考えてみましょう。


パッケージを見た段階で中のお菓子がどんな味かを想像するかと思います。


やはりコンクールも似たようなことが言えると思います。


舞台に、はじめてこれから聴く人が現れてから実際に弾きだすまで、どんな音をだすのだろう、と興味をもってみると思います。



その印象、先入観というものはどうしても聴いている際にも影響してしまいます。



つまり同じお菓子でもセンスの良いパッケージに入っていればおいしく感じられるし、センスの良くないパッケージに入っていればおいしくなく感じられることと同じです。


つまり、この人は素晴らしい演奏をしそうだ、とステージに出てから楽器を実際に弾くまでにお客さん、審査員に思わせることができる振る舞いをできるか、ということだと思います。



では、舞台上でどう振る舞えば良いか、あまり意識し過ぎてもよくないと思います。このあたりが難しいところですが、


今から弾く音楽を頭のなかでなんとなく鳴らしながら登場する


のが良いのかなと思います。また



お客様に見られている



という意識をもつ事も重要だと思います。


世界的指揮者であられた故朝比奈隆先生が、お客様からいただく出演料はステージにあがる瞬間から含まれている、というような事をテレビでおっしゃっていた事を記憶しております。


今回は私自身への戒めも含めて記させていただきました。



少し意識するだけでかなり効果があがると思いますのでぜひ試してみてください。



私も舞台上での振る舞いは試行錯誤していきたいと思います。




 

そして重要な事ですが大学時代に楽器を弾く仕事を開始しました。



大学一年の5月最後の土日に、人生で初めて働いてお金をいただく経験をしたのですがなんと映像に記録されているのです!


神童という映画の当てぶり(弾いている姿を撮ること。音は現場では出していても実際の放送には使われない)でした。間違いなく私の人生を振り返る時に大きな出来事の一つでしょう。




とはいえ、卒業後どうするか、ですね。やはりごく稀な例を除いて、一般就職のように大学四年生の最後の3月には全く収入がなくても、就職して4月には初任給が入る、という世界ではありません。


大学の特に3年、4年からある程度プロとしての活動を開始するか、種をまくことはすべきだとは思います。


また教える仕事も音楽家にとってはとても大切な仕事です。

私にとっての指導者としての最初のキャリアは、日医大&女子栄養大の学生オーケストラ、ハルモニアオーケストラのトレーナーからスタートしました。

先にトレーナーをしていた同級生が紹介してくれたのです。

大学卒業後一年目の事です。

何から何まで初めてで、また私の生徒がはじめてできたことが嬉しくて楽しい思い出です。

まだ指導者としては半人前でしたが…


その後、神楽坂にある教室を先輩に紹介していただき、五年程勤めました。


ここでかなり教えるノウハウを得たと思います。




私は指導の仕事をはじめて10年経ちますがようやくコツといいますか、そのようなものがわかってきました。


上手くなるツボというのが一人一人違うのでそこを探し当て、伸ばしていく、私はそのような指導方針なのですがある程度それができるようになったのはここ最近です。

やはり一人前の指導者になるには長い時間がかかりますね。


そして相模大野に教室を開き、現在に至ります。




もちろん時代はかなり厳しくなっています。昔(大体1995年位まで、あくまで私の感触です)は学生でも演奏する仕事がたくさんもらえてあまりに忙しく授業に出られず大学の卒業単位数が危ぶまれたそうですが(何とか単位をやりくりした武勇伝の一つや二つは先輩方はもっていらっしゃいます!!!)今は学生時代に演奏のお仕事をいただく事はかなり難しくなりましたし、卒業後も、レベルの高い音楽大学を優秀な成績で卒業しても、なかなか厳しいのが現実です。


特にコロナの影響をもろに受けた業界の一つであり、これから音楽をめざす人もかなり減ってしまうと思います。(競争率が減りチャンスともいえますが)

ただ、芸というものは諦めず、丹念に磨いていけば、必ずある程度は光るもので、なによりも個人に身に付くものです。

その個人に身に付いた芸をどのように仕事にするか、かなり色々な可能性があると思います。もちろん演奏の仕事を得るにはどうしても縦の繋がりが必要です。ですがYouTubeなどを利用して自分一人で仕事を作り出していっている知人もあらわれています。組織を介してではなく、芸を通じてお客様と直接繋がることができるというのは音楽家を職業として考えた時の強みだと思います。


ひとまずこのあたりで終わりにします。音楽の世界を志しているかたでキャリアの事、などどうしても詳しく知りたい方がいれば直接メッセージいただければ私にできる範囲内で全力でアドバイスします。


以下メールアドレス


kiimaiiko@gmail.com





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、前回は芸大に入ったあたりまでだったと思いますが、今回は大学時代のことを書いていきたいと思います。

 

普通高校出身の私が音大に入り最初に驚愕した事は、みんな初見がきく!ということでした。

 

初見とは、見たこともきいたこともない曲の譜面を渡され、その場で音にしていく作業です。

 

とはいえ、徐々に慣れていきました。というよりごまかし方がわかるようになったというほうが正確ですが......ただ本当に初見のきくプレイヤーというのもいるのです!

 

また室内楽、オーケストラなどこれもはじめてのことだらけで大変だった思い出があります。(特に前期)

 

そして芸大で過ごした中で最大のメリットでもありデメリットでもあるのが

 

本当に才能のある奴(同級生、先輩、後輩)を目の当たりにした

ことです。

 

私自身、高校までは普通高校で良くも悪くも井の中の蛙で、どこかで自分自身が音楽家としては天才だと思っていましたし、またそう思う時期も必要だったとは思います。実際に芸大に入ってみて、本当にすごい人をみて、いろいろと心乱されるといいますか、自分自身が天才ではないことを冷静に認められるようになったのは卒業して何年もたってからです。

 

ただこのあたりは非常に難しくて、自分自身の可能性を信じてひたむきに毎日毎日ほんの少しでも上手くなるように昼夜問わず考え努力し芸を磨くことは、ステージにたつ、あるいは生徒さんに音楽をきちんと伝えようとするならば絶対にし続けなくてはならないと思います。

不思議なもので、自分で限界をつくり、今まで培ってきた技術でほどほどにやろうか、みたいな姿勢というのはすぐにばれます。

そしてすぐに仕事をなくすと思います。

 

しかし、どこかで自分をマネージャー的な眼でみることも必要でして、ある意味、複眼をもつということは重要だと思います。何が自分には出来るのか、人には出来なくて自分にはできる事は何か?という事を考える事は必要だと思います。

 

気を付けなくてはいけないのはマネージャー的な眼が大きくなりすぎないようにすることだと思います。

そうすると、どうしても媚みたいなものが見えてくるのです。媚ては人様にお見せできる芸はできないと確信しております。


このような事を漠然と考えはじめたのは大学生後半の事で、やはり二十歳くらいの時に限界まで頑張って壁にぶち当たるという事は大事なことだと思いますし、音楽家になるには音大にいった方がよい、という事の大きな理由の一つだと思います。

 

まあそんなこんなで大変なこともありましたが総じて同級生にも恵まれ、楽しい四年間だったと思います。

 

またバッハカンタータクラブというサークルに入り、毎週金曜日、バッハのカンタータを勉強したことは私の血となり肉となっていると最近痛感致します。

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は前回の続きで、高校時代などを記していきます。

 

そういうわけで、中高一貫校の高校へ、エスカレーターで進学しました。

一般高校か音楽高校、どちらが音楽家になるにはよいか、いろいろ意見がありますが、(私のブログにも書きました)私の例を基に普通高校から

音大を受験することについても、書いていこうと思います。

 

高校時代も最初、私が音楽家になろうと思ったきっかけをつくっていただいたオーケストラ部の活動をしていたのですが、高1の秋、退部します。理由は音大受験に向けて、実技のほかにピアノ、ソルフェージュ(楽譜を読む訓練)などの対策が必要で忙しくなり、体力的にも時間的にも、もたなくなってきたからです。

 

ですが、退部することで、正直に言いまして学校での居心地は良くなくなりました。

ただこれは音楽を志す上である程度避けては通れない事だと思います。

何故なら音楽大学、音楽高校の入試が他の大多数の生徒の進学する、普通高校、普通大学と大きくことなる事と、また音楽の勉強は短期集中型ではなく長い期間をかけて感覚を培っていくもので一般大受験に比べどうしても受験勉強の期間が長くなってしまうので、普通高校においてはまわりと比較して特殊な学生生活を送らざるをえないのです。

 

ではヴァイオリンの練習を頑張っていたのか、というとそうでもなかったです......

大体毎日三時間程度、だらだらと集中力がなく練習していました。 

 

ここまでの流れでみると、やはり音楽高校の方がよいのか?という感じになると思いますが、普通高校に行った利点もあります。

以前ブログに別の項で書きましたが、憧れをもって音楽と三年間接することが出来たことは私にとって財産です。

また、音楽家も、たくさんある職業同様、社会に支えられ、また支えることによって存在しているわけでして、今では同級生たちはいろいろな多種多様な職業に就いていますが、そういう同級生を持てたのも普通高校に行ったメリットだとは思います。

 

そうこうしているうちに大学受験です。ですが目の色を変えて練習しはじめたのは、高3の一月末くらいでしょうか、入試の一か月前くらいです。

まず課題の一つである音階が、全く入試をクリアできるレベルに達していないことに気が付いたのです。

それから毎日ひたすら6時間は音階を練習し、残った時間で課題曲を練習しました。

当然時間が足らず、入試は不合格。

 

ですが浪人時代の計画は決まっていました。毎日音階を5時間は練習し、(美しく響くまで仕上げようと思うと本当にこれくらいかかるのです)

きちんとものにしよう。ということです。

 

そしてここでビオラに転向します。理由はヴァイオリンに比べてやや技術の習得の進みが遅れていてもなんとかなるのではないか、という若干ネガティブな理由が主要因ですが、他の理由として、ビオラは内声を担当するのですが、この内声とはつまりド、ミ、ソ、と同時に三つの音を鳴らした時の真ん中、ミの音を指すのです。

もしお手元に鍵盤楽器があれば試していただきたいのですが、このミをミ♭にすると、明るい和音から暗い和音に変わるわけです。

この内声は聴き取りにくいのですが音楽の鍵を握っていることが多く、内声を勉強すれば音楽がわかるのではないか、という気がしたことも

ビオラに転向した理由の一つです。

 

そんなこんなでビオラに転向し、大野先生にお世話になることに。本当に色々面倒をみていただきました。特に音階はある程度ビオラに転向する時点で弾けていたのですが実際の曲に適合させる部分が完全に抜け落ちていて、そのあたりをセビシック(ボウイングと左指の訓練)と練習曲を用いて徹底的に鍛えられました。


浪人時代は5時間の音階練習、練習曲、セビシックで三時間、これに二教科とはいえセンター試験対策、ソルフェージュの勉強、副科ピアノなど非常にたくさん勉強した記憶があります。

 

これでなんとか(スレスレで)芸大に合格し音大生としての学生生活をスタートさせます。

 

次回は音大での生活を中心に書いていきます。

 

 

 

 

 

 

今回は恥ずかしいですが、私のこれまでの、つまり音楽を生業にするまでの経緯を書いていきます。(ちなみに今はコロナ禍の為ほぼ失業者ですが......)

 

いろいろな人から(生徒さんやアマチュアの方など)どのような経緯で音楽をやることになったのか聞かれることも多く、

 

また全く順風満帆ではないこれまでの経緯を書き連ねることで、これから音楽を目指す学生の方、あるいは音楽の世界がどのような

 

感じなのか興味のある方の一助となれば幸いです。

 

 

まず私がバイオリンをはじめたのは四歳、年少の頃でした。理由はとなりの子がはじめたからだったと思います。

 

幼稚園時代は愛知県に住んでいたのですが、東京都多摩市に引っ越して、そこでもまたバイオリンを続けました。

 

専門家になるつもりはなかったのですが、それでも今考えるとまあまあ頑張ってたな、と思うのですが、45分くらいは毎日練習していた気がします。

 

そうこうしているうちに中学受験をするという話になります。そして小4から塾へ。練習時間は減ったもののなんとなく続けていたのですが、塾以外

 

の時間、さらにヴァイオリンを練習しなくてはいけないのが面倒くさくなり、小5の終わりにやめてしまいます。

 

そして再開するのが中学受験が終わった中学校一年生の時です。

 

入った学校にたまたまオーケストラ部がありそこでバイオリンを再開し、またレッスンも再開します。

 

そのころ、バイオリンの楽しさ、音楽の楽しさを発見します。

 

私自身、身をもって感じたことなのですが、講師としてレッスンするなかで、中学受験で一回辞められる方が多いのですが、ぜひ中学に入ってまた音楽を再開してほしいと思います。何故なら、中学生になってはじめて音楽に関して良さがわかる部分がたくさんあるからなのです。

 

また、練習に関しても、自分の創意工夫で考えたトレーニングで手の筋肉がつく、上手くなる、ということがわかり、練習にはまっていきました。

 

音楽を生業にしてみようかな、とも思うようになりました。(希望の中学に入れなかった上に当時勉強の成績がかなり低迷していたことも要因にありますが......)

 

そうこうしているうちに中三の秋、当時ついていた先生から、芸大の准教授でいらした清水先生をご紹介いただき門下に入ることに。

 

清水先生は史上最高のヴァイオリニスト、ハイフェッツの弟子で国際的にも活躍されているヴァイオリニストです。

 

当然、門下生は優秀な方ばかりで、例えば私のレッスンをされている最中に次の生徒さんが入って来られると、すごく恥ずかしい気持ちになったのをよく覚えています。

 

先生は、メニューイン、グリュミオー、シェリングなど、絢爛たる巨匠が活躍していた時代に、デビューされた方で、よく巨匠の話をしてくれました。また私もその巨匠たちのヴァイオリンの末裔なのだという感覚をもつに至りました。

 

そして目の前で奏でられる素晴らしい音、表現力には毎回圧倒されました。

 

 

ですがバイオリンの進みとしてはかなり拙かったので、エスカレーターで高校に進学できることもあり、そのまま普通高校に進学しました。

 

 

次回は高校~ヴィオラに転向するあたりを書いていこうかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

随分更新が滞ってしまいました。このような状況ですが皆さんはお変わりないでしょうか?

 

コロナが猛威を振るっております。罹患された方にはお見舞い申し上げます。

 

また罹患していなくても、多種多様な産業に影響が生じております。生演奏を主な生業にしてきた私にとりましても、非常に大きい

 

ダメージを受けております。

 

なかなか見えない終息時期、また音楽を生業とする自分の無力さに非常に鬱々としておりますが、しかしやはりこういう時に感じるのは音楽の力です。

 

私も楽器を練習している時、好きな音楽を聴いているとき、その時間だけでも現状の厳しい状況を忘れられます。

 

実際、SNSなどでも、何十年ぶりにピアノを練習してみたなどの投稿を見かけますし、散歩をしていても普段よりも楽器を練習している音が

 

聴こえてきます。

 

私の畏友が、暗闇があるから光の存在がわかる、という投稿をしていましたが、今は音楽との関わりを考える上で、重要な期間ではないかと思います。

 

音楽は人生の困難な時に寄り添ってくれる、とはその通りだと思います。

 

 

とはいいましても今現在、私としても今できることはやっていきたいと考えております。

 

今現在、音楽を求めている方のお役に立ちたいという思いを強く持っております。

 

ですのでZOOM、もしくはlineでのレッスンも開始致します。

 

一回30分とさせていただきます。また実験的な面もありますので、今月中は無料とさせていただきます。

 

この機会に試してみたいという方も歓迎致します。

 

是非ご連絡下さい!

 

kiimaiiko@gmail.com

 

 

 

 

早いもので、クリスマスも終わりいよいよ年の瀬に入ってまいりました、

 

年末年始の思い出というと、いろいろとありますが、受験生時代のいよいよ受験が近いという緊張感にみちた凍てつく感じも忘れられません。

 

ということで今回は音楽の道を志す方に向けて、音楽高校、普通高校、どちらに進学するとどのような感じになるか、私の

 

知る範囲で書いていきます。

 

 

 

最初に私自身の結論を申しますと、音楽の道を志すならば、多少無理をしてでも音楽高校に進学することをお薦めします。

 

理由はいくつかあります。まず、音楽の習得というのは、ある意味言語の習得にもにていて(私は日本語しか満足に話せませんが)

 

音のシャワーを一定時間浴びることで、ある意味有機的に意味を持って和声、リズムがきこえてくるのだと思います。

 

もちろん普通高校にいっても毎日個人練習をしたり、レッスンに行ったりするとは思いますが、音楽高校の場合、学校に着いたら、いろいろな部屋から

 

ある程度高いレベルの音楽が漏れていたり、授業の合間、或いは放課後、仲間と室内楽などを練習したりすることを考えますと、

 

音のシャワーの絶対量としてかなりの差が出てくると思います。

 

 

私自身のことを申しますと、中高一貫校でしたので、わざわざ、という思いもあり、そのまま普通高校に進学したのです。その後なんとかマグレ

 

で芸大に入ったのですが、この音楽が意味をもって有機的にきこえる感覚を得たのは卒業する間際でした。やはりせっかく優秀な人たちと室内楽を日常的にできる機会を持ちながら和声的な耳が開いていない状況だったのはもったいなかったと思います。

 

入学する段階でこの感覚を持てていたら.....と思うことも多々あります。


また優秀な同級生からどのように思われていたのかと考えるとおそろしくなります😱

 

音楽高校浪人する例もありますが、勇気はいると思いますがよい選択の一つだと思います。

 

 

ただ100%後悔しているわけではありません。

 

音楽を、一愛好家をとして夢中になれた三年間ではあったからです。

 

それこそお年玉はすべてクラシックのCDにつぎ込みましたし、コンサートにいくのが何よりの楽しみでした。

 

月に二回は絶対に行っていました。

 

情報誌のチェックにも余念がなく、大物ヴァイオリンニストの来日公演は、チケット発売日当日に何度も電話してやっと取った

 

ものです。高2の一年間だけで、カントロフ、イダ ヘンデル、ギトリス、クレーメル、ギル シャハム、など絢爛たるヴァイオリンニスト

 

のコンサートに行ったことは今に至るまでの財産です。

 

ですが音楽大学に入ってしまうと、不思議と内側の人間になってしまうというか、コンサートやさまざまなCDが、以前のような輝きをもって

 

見えてこなくなってしまいました。これは私の例だけではないようです。オーケストラを聴きにいっても、先輩がエキストラで乗っていたりして

 

最初はみつけて喜んでいたのが、だんだん優秀な同級生、後輩なども見かけるようになって......なんてことは音大あるあるですね。

 

 

 

 

幾分脱線もしましたが参考になりましたか?