私たちは、近所付き合いなどで何か有っても『お互いさま』の心遣いで

快く相手を許してその場の空気を丸く収めて、良い関係を保とうとする。

でも近頃は、何か世知辛いシーンを感じる事も多く、何だかなあ と思う。

わざわざ対立しなくても、

私ならそういう時には無い知恵を絞り、温和に話をして解決を心がける。

お互いが嫌な感情を持たずに済む方が、お互いの得になるからだ。

 

さて、今回は『心の在り方』 というものを考えてみよう と思う。

ちょっと今日の話は、私のプライベート昔話(恨み辛み有り)がメイン。

以前、母親の宗教歴から感じた私の宗教観を書いた事がある。

だから、ちょっとリフレインの説明も入っちゃう。

お目汚しになる とは思うけど、書いてみた。

適当すぎる私なのに、今日は、とてもまじめな事を書いている。

青臭い事を書いている。

 

 

 

母は過去に宗教団体での人間関係に傷つき、もう懲りた筈だった。

しかし、唐突に、新たな宗教を信じる と言い始めた。

結局、母は、宗教がないと生きられない類の人間なのだ。

心の拠り所がないと、辛い人生だったのだろう と慮っている。

 

まあ、それは良いけれど、母は事ある毎に、私に強く勧めて来た。

私の兄弟にも親戚(母の弟妹)にも勧めたらしい。

叔母叔父から、やんわりと愚痴を零された時には、代わりに私が謝っておいた。

母には色々と良くして貰ったけど、他者に宗教を勧めるのは母の短所の1つだ。

宗教は、喩え自分にとって良くても他人には勧めちゃいけない と私は思う。

 

1989年の秋、私は割とすぐに母の願いに根負けしてしまった。 

当時、私が電話で体の不調を零した事で、母を心配させたのが要因だろう。

私の兄弟はみな断ったらしいのに、私だけが安易に聞き入れてしまった。

私は、宗教団体に対して、ものすごい嫌悪感を持っていた。

それなのに安易に応じてしまったのは、やっぱり私の心の弱さにある。

当時の体の不調から抜け出したくて、何かに縋ってみたかったのだろう。

確かに、あの時には縋ってみようと、軽く心が動いたのだ。 

退会したのは2021年秋だから、辞めるまでの期間は長い。

 

信じる努力は精一杯したけれど、最後の一歩で、私の邪念が邪魔をした。

決して神を否定している訳じゃないし、信じられる人は素晴らしいと思う。

ただ、一途に信じる事が私には無理だった と言うだけの話。

 

戦後すぐ出来た新興宗教で、日本の女神様が象徴だった。

神の使い人が代表者。 直接、会った事も話をした事もないけれど、

心清らかで謙虚なお人柄に 私には見えていたから、嫌悪感は無かった。

断定は出来ないけど、その宗教団体は真っ当な類だと思った。

 

世間では、新興宗教は何か一癖あるかのような好奇の目で見たりする。

或る時、週刊誌に面白可笑しく書かれているのを読んで、グサリ⤵と傷ついた。

実際は健全過ぎて、少々堅苦しい雰囲気の学びの場 でしかなかった。

 

そんなわけで月に1回、一人で心の在り方を学ぶ事を自分のノルマとした。

主にビデオを用いた授業が幾つもある中、必ず1つを学んで帰った。

埼玉北部に住んでた当時なんて、朝早くに家を出て、帰宅は午後になる。

帰宅する度にノルマを果たした気がして、やれやれ と安堵した。(笑)

それを約30年近く続けたが、ある意味、母への親孝行の1つだった。

 

しかし、心の学びをグループで学ぶ感覚が、私には信じられない。

世間ではグループ付き合いを伴う宗教団体も多いらしいが、私は嫌。

こう言うのは各自が学んで、日常生活に活かせば良いだけの話でしょ?

 

でも、私って決して、人間嫌いではない。 
話の合う、気の合う友との付き合いは、心の糧となる。 
友人たちは大切にしたい存在だ。
徒党は作ったことも無いし、すごく嫌悪するけれど、

コープ・PTA・子どものママ友など、色んなグループ付き合いも嫌ではない。

つかず離れず、適度に距離を保って、楽しく過ごして来た。

 

 

さて、学びの内容は『生きる上で常識的な心得』だった。

『一種の道徳のお勉強?』みたいな感じ。

そんな事、教わらなくても解っているよ♪ というレベルの話ばかりだった。

ただ、頭では分かっていても、実際の行動では何故か難しいものだ。

私は、賢人ではないし、性根が立派な人間でもないからね♪

 

特に学ぶことが難しい となったのは、母の介護生活が絡んでからだ。

2007年夏~2008年初頭、同時期に幾つかの困難が押し寄せた

母が初めての施設(ケアホーム)で夜中、トイレに起きて転んた。

大腿骨骨折となり、入院・手術。その後はリハビリ病院でリハビリとなる。

リハビリ病院で、『予期せぬ運命の悪戯』が私だけに起こった感じだ。

私はボーっとしていて鈍いから、最初は全く気付かなかった。

『悪意による企み』に嵌められ、理不尽にも責められる事態にビックリする。

心が沈み、心は静かに荒れた。 それから人間不信にもなった。 

文句の1つも言いたいけれど、すべて母の為に我慢して、黙った。

違う施設暮らしの義母に愚痴を零したら『負けるが勝ち』と慰めてくれた。

 

中でも、一番母がお世話になっていた義姉の悪意が、頭から離れなかった。

なぜ私だけに集中するのか? 私の何が悪かったの? なんでなんで??? 

良い人だと思っていたのに…。

と、堂々巡りに考えて、始終その思考から抜け出せなくなった。

もうヤバいくらいに、一日中、同じ事が頭から離れない。

 

それから抜け出すために、私は習った事もない簿記にハマった。

知らない概念が面白かったし、夢中で計算していると忘れられたのだ。

夢中で知らない色んな事を覚えるのが、楽しかった。

ふふっ、勢い余って、簿記一級の勉強にハマっていたぐらいだ。  

(今ではもう、スッカリ忘れちゃったけど♪ 笑)

(こういうのは、実践で使わないと、どんどん忘れる♪ 笑)

 

 
さて、私が学んだ内容の例を、ちょっとだけあげると、
『人・物を大切にする』
『足るを知る』
『親、先祖に感謝する』
『自分がされて嫌なことはしない』
『人を責めない』  
『損得勘定で動かない』
『身内や親族との和を心がける』 
 
中でも、『身内や親族との和を心がける』が、意外に難しい。
 
2003年晩秋に、突然の病気で母の介護が必要になり、
当初3年ほどは、地元に住む長兄夫婦の手助けで何とか回っていた。
(長兄以外はみんな関東住まいで、地元は距離的に遠いから 甘えた)
2006年、兄弟で色々話し合いを始めて半年後に、長兄が癌で亡くなる。
寝耳に水だった。義姉の負担を減らす為に、初めての施設はケアホームを選ぶ。
2007年、母の入院・手術 → リハビリ病院でリハビリ。
色々と地元の関係者は、頼み易い義姉にちょっとした用事を持って行く。
(田舎では、あるあるで、在りがちな話)
義姉の不安と不満の矛先が私だけに向けられた。
(次兄がリーダーだったのに)
 
私は、あれこれ考えに考えて、これしかないな!と行き着いた。
義姉には、全ての母関係の用事から外れて貰う
施設との連絡、色々な手続きなどを、私達兄弟だけで対応する方針に変えた。 
 
施設は私がネット上で見つけたが、奇跡的に母に合うグループホームだった

『看護師常駐のグループホーム』に巡り合えた。

施設長の高齢女性は、かつて特別養護老人ホーム長も経験されていた。

ダメ元で電話した時、たまたま入院中の入居者がでていた事で、仮交渉は成立。

施設には事前にその事情を説明し、迷惑を掛ける事も伝えた上で入居が決まる
 

しかし、母がリハビリ病院からその施設に移る前日に、ひと悶着が起きた。

「母に 褥瘡(じょくそう) がある」と病院の誰かが施設の人に伝え、妨害された。

それで私は責められ、負けずに『それはあり得ない』と反論した。

翌日、母が施設に来て、体を点検して貰って、誤解は解けた♪

母にとっての終の棲家となり、14年余りを穏やかに過ごしてくれた

 

それにしても、施設が見つかるまで無理を言って入院延長を許されていた中、

病院の誰か?に妨害工作される意味が、私には理解できなかった。

なぜ、分かりきった嘘を吐いてまでして邪魔をしたかったのだろう?

 

誰のリークか、その目星はついたけど、敢えて犯人捜しはしなかった。

後日、私の自宅に電話が有り、散々不満をぶつけられて、当確となった♪

医療ソーシャルワーカーとしては不適合者だと、今でも思っている。

でも、まだ若い彼女の職を奪う事は憚られるし、お茶を濁すことにした。

あれから16年が経つ今も、同じ仕事をしていらっしゃるのだろうか?

 

 
話を戻すけど、義姉は全排除が気に入らず、関わりたがった。
だけど、『少しでも関わったら、周囲からの厄介事が、また義姉に向かう』
こんな簡単な事が、義姉にも他の兄弟にも中々理解して貰えなかった。
弟は「全排除は気の毒じゃないか?」なんて言うし。(笑)
兄は「これ位は良いじゃないか?」と、何かと義姉を利用しようとする。
みんな、頭のネジが1本外れてるよ♪  マジで。 (*^-^*)
 
それからの私は、義姉の事が顔を見たくないほど嫌いになった。
以後10年以上、帰省する度に、何処かで不意に出くわしたら?
と妄想しては恐怖になった。 なぜ怖いのか?・・・自分でも分からない。 
(コロナ禍が始まるまで、年に何度も何度も帰省していたので苦しかった)
会いたくない=怖い の気持ちは、自分ではコントロールできなかった。
トラウマになるぐらい、なぜか怖かった。
 
やがて2022年、10数年ぶりに母の葬儀で会った時には、普通に対応できた。
時間が、私の恐怖を和らげてくれたのだろう。 時が解決💛
でも嫌いの感情は、今もやっぱり残っている。
顔も見たくないのは、今も続いている。 これはどうしようもない。
 
そんなわけで今度は、学ぶこと自体が、私を苦しめ始めた。
何かと『身内や親族との和を保つ!』は授業で出て来る。
そのたびに、心が抉られて、辛かった。
私は、本当に辛い時に学びを実践出来る人格者ではなかっので、
やがて学ぶ事が白々しくなり、理想と現実は違うよ と心で反論した。
自分の心を必要以上に虐めていたら、心は可笑しくなるので、

わが身可愛さに、開き直って精神の均衡を保っていた感じだ。


 

ただ、退会だけは母の志に反する気がして、形だけでも取り繕う事にした
連絡係の人がとても純粋で良い人なので、それも負担の1つになった。
悪気はないだろうけど、何気に純粋な彼女の正義を押し付けられてしまう。
最初は電話が恐怖になった。
ナンバーディスプレイなので居留守を使うが、不意に掛かって来ると、
電話を投げ捨てたくなるほど、恐怖になった。
携帯電話でも同じだ。 居留守を使った。
途中から、難聴を理由にして取り繕って、携帯メールに変えて貰った。
今度はメールが来る度にドキドキする始末だった。
本音では放置しておいて欲しいのに、それだけは言えなかった。
純粋な人を傷つける訳にはいかない。
良かれと思ってメール、親切心を伴っての行動なのだろう。
でも申し訳ないけど、それが鬱陶しくて、どうしようもなく辛かった。
 
やがてコロナ禍が来て、学びも堂々とサボれて、連絡も来なくなった。
そして、ある日突然、母が亡くなる半年前に、退会する機会が巡って来た。
その連絡係の人がお体を悪くされ、別な人からのお手紙が届いた。
そして、今後の希望を聞かれたのだ。
取り繕いながらも無事に退会の意向を伝えて、無事に退会できた (*^-^*)
 
『私が学んだ事は、無駄ではなかった』と言いたくて、
こんなにつらつらと重い話を書いてしまった♪ 読まれた人、ごめんなさい。
 
 
 

私が時折、『真面目過ぎるのは苦手だあ!』などとブログ記事で書きながら、

矛盾する話だけれど、学んで来た事が私の心の中で活きている。

行動が伴わない事が有っても、基本の心得を意識して生きて来た。

 
当時は、こんな当たり前な事、別にどうってないよ と思っていたけれど、
昨今、世の中には、その当たり前なことが難しい人が増えていると感じる。
いつの間にか、自分勝手な人(自己中心的な人)が増えている。
いつの間にか、他人のせいにして、相手を責める人が増えている。
いつの間にか、損得勘定で動く人が増えている。
いつの間にか、程々の満足を超えて、欲深くなる人が増えている。
 
ところで、私は他の宗教には詳しくないが、ネット情報で得た知識が増えた。
キリスト教の教えでは、『基本的に人間は、罪人』と聞いた。
しかし、各自の理性や良心でコントロールする生き物 と言うことらしい。
それを知って、ちょっとホッとする♪
 
しかし、キリスト教には、色々な宗派があるみたいだ。
驚いたのは、悪魔崇拝するような怖ろしい教義もある と言う。
何教か知らないけど、優生思想が教義の宗派だか宗教もある。
そしてその信者は、それを信じているから、厄介な事になっている。
そんなアタオカな教義は、私にはもうオカルト としか思えないし、
それが宗教で有る事が信じられない。
 
そういえば、日本にも怖いカルト宗教がマスコミを賑わした事が有った。
オウム真理教』と聞いただけで、身の毛がよだったあの頃。
ドラマよりも、凄い犯罪の数々に驚き、慄いた。
しかも、メンバーは メチャ賢そうな人々が含まれていた。
『イワシの頭も信心から』と言うことなのかな?
でも、私には、明らかに犯罪なのに、それを判断できない事が不思議だ。
 
また、日本には、有名な『創価学会』という宗教団体もある。
創価学会の人との付き合いは、PTA活動で生じたぐらいで、詳しくない。
みなさん良い性格で、面倒な事を嫌がらず引き受けて下さり、悪い印象は無い。
ただ選挙の時だけは、こぞって活動なさるから、そこだけは疑問だった。
 
その創価学会に対しても嫌悪感が芽生え始めたのは、コロナ禍だ。
公明党が、この度のワクチン政策にとても積極的な事を知った時からだ。
ええっ? 毒ワクチンを推奨なんて、ありえないでしょ? 
公明党もカルト的な政党だったのかあ・・・と寒気がしてしまっている。
宗教団体が深く絡む政党が、欲に駆られて、ヒドイ政策に今も寄与している。
この政党は政治の仕組みを利用しているから、私は嫌悪している。
 
また『統一教会』に至っては、過去のワイドショーの記憶しかなかったのに、
自民党を始め、他の政党の政治家との絡みが半端ない事を、2022年に知った。
結局、どの政党であろうとカルト教の魂胆に寄与している政治家がいる???
もう、ビックリ過ぎて、頭が付いて行かず、信じられなかった。
何でも多くの旧統一教会信者が秘書として潜り込んでいる という。
スパイ活動をしているらしい。 これには本当にびっくりしている。
その秘書たち500人ほどが行方不明 とも言われている。 どこに身を隠しているのだろう?  
 
ただ、真相はまだ分かっていないから、滅多な事を書くべきじゃないけど、
(そういいながら、書いているけど)
今の日本の政治が、余りにも変だと感じるし、
ついでに言えば、西側世界の国々の政治も、同様に変になっている。 
とにかく今は、ほとんどの西側諸国の上層部が、怪しい
 
自民党も公明党も、他の野党も、どれもこれもグダグダ
もちろん、立派な議員さんはいらっしゃるけれど、全体的にグダグダ

だから、もう今の日本は、危険が一杯の国になってしまっている

 

 
この2年ぐらい、私がずっと今の社会に関して批判記事を書いて来たのは、
政治家や官僚やマスコミ人たちのモラルが非常に欠けていると思ったからだ。
あまりにも、品性が低い。 
これは、一体どうした事だろう???
彼らは、権力お金という魔力に憑りつかれて
モラル、常識、生きていく上で大切な信条などを、どこで捨てたのだろう?
 
 
無宗教の人であろうと、信心深い人であろうと、
モラルや常識などが欠けている人は、人間社会の不適合者 でしかない。
 
彼らを私たちが見て見ぬ振りして困らされるのは、未来を生きる子ども達。
私は、年齢を重ねれば重ねるほど、熟成した心になれる と思っている。
大人は、後の世代に『不安の種を残してはいけない』…そういう責任も有る。
私たち大人が、しっかり反省して、努力して、変えていかなければいけない
そうじゃないと、年下の若い子たちの失望を招く社会になってしまう。
 
現に、今、社会秩序が、もう崩れて始めている。
食べ物ひとつとっても、体に悪いモノが含まれている。
人工培養肉とか、遺伝子操作がされた謎の食べ物が、いつの間にか登場した。
子どもたちへの、ワクチン接種の種類と回数の多さは、異常だ。
知らないうちに、毒を取り込んでいる事を、親も医師も知ろうとしない。
厚労省のお役人は、その仕組みを知っていて、その上で推奨して来ている。
公務員とは、社会の公衆に奉仕する立場ではなかったのか?
私は、彼らは自国民の健康の為の仕事をしている、と思っていたけど…。
あまりにもズレていて、怖ろしくなる。
 
 
こうして今の日本社会は、一人ひとりの心が劣化して、出来上がったのだろう
だからシツコイけれど、もう一度、
日本社会を形成する大人の誰もが反省しなきゃいけない。と、書いてみる。
 
もちろん、私もその一員で、ダメダメ人間なので、
時には横道に逸れそうな時にも、理性で抑えて心成長したい
襟を正すことを忘れないように、肝に銘じたい