『木を見て森を見ず』

意味は、物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。

よく知られる諺の一つだけれど、私の場合、実生活には活かされてなかった。

 

今でこそ、ちょっと立ち止まって考える事が増えたけど、

以前は、真剣に調べて考える なんてことは、皆無に近かった。

 

今でこそ、所謂「反ワク」「反マスク」の私だけど・・・・・

ほんの2,3年前までは、有効だと思っていたわけで・・・・・

 

もしも誰かに「その根拠は?」と尋ねられたら

「う~ん、何となく♪」

としか答えられない程度の杜撰さで、何の根拠もなく有効だと思い込んでいた。

切欠は、コロナ禍を経験するなかで、特にコロナワクチン登場から だった。

それ以後、ワクチンやマスクに限らず、アレやコレやの疑問が増えた。

 

以前は、TVや新聞のニュースや社説を何も疑わず、有難がってインプットした。

子どもの頃から、学校で教わったり、教科書で習ったり、

そういう一切も、何も疑わずインプットして来たわけで、その蓄積量は半端ない。

 

何かを調べる度に、それらが悉く覆されて、その度に衝撃が強く・・・・・

最初は「う~ん、まさか?! いやいや、まさか?!」 

暫くして「やっぱり、有り得るかも?」と半信半疑状態になり、

それをずっと維持している感じで、来ているんだけれど、 

ここの所、「覆されたことこそ、真実ではないか?」と思い始めている。

 

ひとつ、ふたつ、と、ワクチンの新事実が出てきているからだ。

今後もおそらく、改竄されて来たアレコレの歴史的な話も、

「実は、違っている」という真実を、公表されるかもしれない。

余りの多くの捏造話に、私はコロッと騙されていたのかも と、疑っている。

 

 

たとえば、まず、ワクチンを例に挙げてみるならば・・・・・

 

私の10歳ぐらい下になる従兄弟は、生後6か月の時に天然痘ワクチン接種をした。

直後から酷い高熱が出て、それが元で「知的障碍」となり、

叔母は、それ以後から子育てに苦労することになる。

たとえば「多動」を伴うために、予測不可能な行動をしてしまう。

そのために、特に外出時には目が離せなかったそうだ。

(叔母一家は横浜に住んでいた。 私は結婚前まで故郷住まい)

(何かと祖母宅に泊まり込んでいた私は、長期帰省時の叔母一家と交流が有った)

尚、従兄弟はその後、薬害訴訟を経て、国から「薬害認定」で保証を受けている。

 

 

ところが、私は、従兄弟の薬害発生を『天然痘』特有のものだと、思い込んでいた。

だから、自分の子どもにも、躊躇なく接種させてきた。

何の疑いもなく、『子どもへの予防接種は義務』と思い込んでいたからだ。

実は、義務では無かったのに、市からのお知らせが有るから、義務と思っていた。

もちろん、今の子ども対象予防接種機会(膨大な種類と回数)には遠く及ばないが、

のちに、薬害の酷さから中止されたMMRワクチン さえも接種させている。

『思い込み』と言うのは実に怖い!と、60歳を軽く超えた頃に、気づいた私だ。

 

 

また、私の顔には、目だないけれども、小さな凹みが幾つかある。

小さな頃の流行病のどれかに罹患した時に、出来た発疹を自分で掻いたから出来た。

母が気を付けていても、自分で搔いてしまった故に出来た傷痕だと聞いている。

 

だから、『娘の顔に凹みが出来たら可哀そう』という健気な母心? 可笑しな理由で

任意だった「水疱瘡のワクチン」さえも受けさせた、愚かな母親だ。

 

唯一、小学生時の「日本脳炎ワクチン」接種後に頭痛を伴う高熱が出て、慌てた。

それ以後に有った中学生時の接種機会で止めさせたのは、当り前の行為だろう。

 

しかし、その経験を、しっかり活かせているか? といえば、全然、そうではない。

拙いのは、「日本脳炎ワクチン」特有の薬害だ と、またもや呑み込んだこと!

実に学習能力が低い、『木を見て森を見ずの私』を象徴している、出来事だ。

 

 

その後、インフルエンザに罹患した時に、タミフル服用するも効果を実感せず、

1ヶ月ぐらい何とも言えない怠さが残り、インフルエンザの怖さを味わった。

同時に、中2だった娘も罹患し、「かつてないくらいに辛かった」と、

親子が同じ感想で、ここで『インフルエンザは怖い』と強くインプットしたわけ。

 

その翌年から、高校受験に備えてインフルエンザワクチンを受けて、

それが定着し、我が家3人は、コロナワクチン接種が始まる前年まで受け続けた。

しかし今、冷静になり、『タミフル薬害』だったかも? と思い始めている。

もちろん、確証はないけれど、服用してもインフル辛さは変わらなかったし、

あの妙な長く引き摺ったインフル後の不快感は、薬害の可能性だってあるだろう。

 

 

また、色々な書籍にて、予防注射に関して学んで驚いた事はたくさんある。

私に欠けていた必要な情報が、なぜか私には届いていなかった事も不思議に思う。

インフルエンザワクチンは「最も要らないワクチン」なのに、私は知らなかった。

『前橋リポート』のことを知った時には、腰を抜かしそうだった!!

 

そのリポートに出て来る、高崎市も前橋市も、

以前住んでいた埼玉北部では、子どもの習い事で、馴染みの有る地名だったからだ。

よくイベントで行った事のある地名で行われて、出された結論は

「インフルエンザワクチンは接種の有無に拘わらず、感染率は変わらない」だった。

それが、1987年に分かっていた事実なのに、意外にも周知されてない。

少なくとも、我が家の3人は、まったく知らなかった。

 

そういえば、コロナワクチンだけでなく、

・HPVワクチンについてて接種対象者の3割が「知らない」

・5種混合ワクチン導入方針を了承 乳幼児定期接種で厚労省

 

これらのニュース記事につくコメントを見ると、その危険性は周知されてない。

『ワクチンを妄信する人』『便利なワクチンと思う人』

世の中、色々と、簡単に信じて接種する人が多い事を、表すニュースだと思った。

あの手この手で、国、厚労省、製薬業界、たちは、それぞれの思惑で誘うのだ。

 

 

 

 

私には、もう一つ、疑っている事がある。

私を長年恐怖に陥れていた『癌ノイローゼ』は、父の病から始まった。

初めて身内の発病で、私は(母も)精神が参ってしまい、

それから自分の身体(特に胃腸)の不振を感じるようになってしまったのだ。

考えてみたら、それまで胃腸の不振など感じた事はなかったのだ。

『病は気から』…心配から症状が生まれたり強くなる事は、十分起こり得る!!

(愚かしい勘違いを長く続けていくうちに、自分の愚かさに気づいて今に至るが)

 

父の語った事はしっかり覚えていたけれど、活かされなかった。

しかし、ようやく今頃になって私は、妙な疑いを持ち始めたのだ。

父は癌発覚後に入院し、約7ヶ月後ぐらいに亡くなったのだけど、

印象的な発言を、2つ思い出したのだ。

これらは、もしかして・・・・・

治療法(抗ガン剤を受けていたかもしれない)が、原因だったのかも?

 

①父に痛みなどを尋ねた時に、「痛みと言うより、何ともいえない辛さが有る」

「何かのバチが当たったんだろうか‥」 (もちろん私は全否定した)

②入院するまで、普通に食事をしていた父が「入院してから、食欲不振となった」

 

 

ちょっとした切っ掛けから、少しずつ、少しずつ、

私はワクチンだけでなく、医療業界全般に対して疑問を持ち始めて来ている。

それでも、医薬に頼らなければ、生活のクウォリティを保てない情けない私だ。

 

痛し痒しだけれども、『必要悪』と捉えながら、

なるべく依存しないように と、気を付けるようになっている。

 

 

私が持つ沢山の疑問は、医療に限らず、今も増殖中だ。

世の中は、もうボ~っとしながら生きていける時代では、無い。

感性を鋭くしながら、生き残るための知恵をつけていきたい。

みなさまも、どうか世の中の動きに気を付けて頂きたい。