『眠られぬ夜のために①』八月七日: | 真田清秋のブログ

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  『エレミヤ書九の二二・二三🌟。今でも、人々の間に、ことに教養ある人々の間に存する実に大きな区別は、彼らがいったい何に関心があるかという点にある。たとえば、その人の関心が物質的な事物、今日では特に商業・交通・国際間の取引の拡大や簡素化や、一般に富の増加に向けられているか、それとも、道徳・立法・国民教育の改革や、教会の浄化、国家の理想化、というような精神的なものに関心を抱いているかである。精神のこの二つの方向は、ごく短い将来に、互いに全く理解し得ないほどの隔たりに易々と達するかもしれない。しかしその結果、物質的方向が国民のためにも個人のためにも永続的な幸福を築き得ないばかりか、そのよう事に身を捧げた者を十分に満足させ得ないことが、常に確証されるであろう。こういう人達が上手く成功すると、特に晩年になって、いつでも冷酷で暴君的性質を帯びる。成功しない場合は、彼はごく平凡で、わずかなもので満足しない限り、厭世的で気難しい性質になる。これと反対に、理想家たちは、いつまでも若々しく、快活でいることがはるかに容易である。もっとも、その人達によって理想主義が一つの信念になっており、またよくあるように、そに裏に拝金主義が潜んでいない場合に限る。とりわけ、そうした誤魔化しの理想主義は、金持ち連をその現実とまるで違った姿に描いたりする作家たちにおいて、しばしば見受けれる。

 🌟 「あなたはこう言いなさい、主は言われる、『人の死体が糞土のように野に倒れているようになり、また刈り入れする人の後ろに残って、誰も集める事をしない束のようになる』と。主はこう言われる、『知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はそも力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。』」』

 

               清秋記: