『眠られぬ夜のために』七月四日: | 真田清秋のブログ

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 『現代では、哲学はだいたい数学と同じような思考の訓練であって、精神を思惟活動に馴れさせるという以上に、人生にとって何らの目的も効果も持たない。それとも哲学は、ある一人の思想圏内において形成せられた一般的な世界観の樹立というにすぎないものだ。そういう場合、哲学というものは、プラトンやアウグスティヌスや、ヘーゲルやショーペンハウアーなどの、。または彼らの時代の、歴史的に見ればおそらく非常に興味ある世界観だということになる。けれども、果たしてこの世界は、これらの思想家の考え通りのものであったかまた今もそうであるか、たとえば、世界はショーペンハウアーのいわゆる「意志と表象」であって、その他のなにものでもないかどうか。これは全く別の問題である。

 各個人の人生行路についてそれを明瞭にしてやり、彼らの性格を改善し、善に向かう力を高め、またその人の幸福を増進するという目的には、これらの哲学体系は一般にほとんど役立たないか、或いは間接的にしか役立たない。もしそうでないなら、これらの哲学の創始者は人間の中の最もすぐれた人、最も幸福な人だったに違いないが、実際は必ずしもそうではなかった。従って、哲学は主として右に述べた問題と取り組まない限り、人間形成に対して、全体としても個々の点でも、ごくわずかしか影響を与えないものである。

 しかし、現代の世界は、カント以来そうであってよりも、よい哲学のために一層熟してきたように見える。このような要求からして、ドイツ国民が現在の「実在論」に飽きあきしたなたば、おそらく彼らの中から、カントの業績を継承して、これを真の結論へ導くような哲学が再び生まれるであろう。』

 

               清秋記: