『現代の教養ある人たちに見受けられる最も嘆かわしい現象の一つは、彼らが健康にあまり大きな価値をおきすぎることである。実際、その多くの者にあっては、健康を維持したいという関心があらゆる他の関心をすっかり凌(しの)いでいるほどである。世界史上には、たくさんの病弱者が、病弱にも関わらず、いや、時には病弱なるが故に、最も大きな事業を成し遂げ、苦難に堪えたという事実があるのを、彼らはまるで忘れているらしい。
コリント人への第二の手紙四の一六、七の一〇、一〇の一〇、一二の一〇、コロサイ人への手紙一の二四、イザヤ書五三の一〇・一一。
しかし健康と体力へのこのような憧れの真の背景をなしているのは、病弱では何も善いことを成し得ないという懸念ではなくて、むしろ、生の享楽への抑えきれぬ渇望が妨げられているという気遣いである。しかもこのことが、時には実際に、病気の人、それもひどく病苦に悩む人に対して、十分な同情を寄せることを困難にしているようにさえ思われる。
健康は疑いもなく大きな贈り物ではあるが、それをあまり重くみすぎてはいけない。むしろ、損なったり失ったりした場合でも、立派にそれに堪えることを学ばねばならない。なぜなら、健康はまだまだ最高の、なくてはならぬ善ではないからである。』
清秋記: