『眠られぬ夜のために①』六月二十六日: | 真田清秋のブログ

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 『信仰というものは、もとより、自分で自分に与えることはできない。一五二七年の『キリスト子城市法』に述べらてあるように、信仰は「われわれの分にすぎた神の恩寵』である。従って第三者のどんな信仰の勧めや、さらには命令をも、結局のところ全く無益である。ところが、今日家庭や教会や学校で行われる宗教教育はおおむねこの類である。そしてこの憧憬が、信仰という大きな賜物を授かるために、神に差し伸べた手なのである。子供たちはこのような憧れを抱くように導かれねばならない。

 ヨハネによる福音書六の三七・四四・六五。同胞教会讃美歌一七六番。

 われわれは、キリストをわれわれの主にして救い主として受け入れることによってのみ、神の賜物として、それ以上何らの条件もなく授けられるのである。』

 

                  清秋記: