『眠られぬ夜のために①』六月十五日: | 真田清秋のブログ

真田清秋のブログ

ブログの説明を入力します。

 『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、容易である。だが、初めから新しく火をつけるのは、ずっと困難なものである。

 「勇気を失わず、勇敢な人でありなさい。こうすれば、慰めは必要な時にあなたに与えられよう。」勇気は、あらゆる純人間的な性質の中で最も有用なものである。普通、ほんの短い期間だけの必要なものであって、そうすれば、事情が前よりもよくなる。しかし、たちまち過ぎ去ってしまう重大な瞬間に勇気を失うならば、そのために一生の努力も水の泡となることがある。

 したがって、およそどんなことがあっても勇気を捨ててはならない。もしあることをやめるのが明らかに神の御心であるならば、そこからただ暫く手をひいて、とにかく神の力強い助けを固く信じて待つべきであろう。実に、神の助けは何ものによっても遮られることなく、またすべての損失をも償うことができるものである。

 ヨエル署一の一三・二一・二十五ー二十七、ルカによる福音書二二の六一・六二、箴言一〇の二九、ヘブル人への手紙一〇の三五、同胞教会讃美歌六八六番、六六〇番、六六一番。

 このような意味に解すれば、次の仏陀(ブッダ)の言葉もまた結構である。「心が正しい思いに満たされている限り、どんな悪事も決して入り込む隙がない。」たしかにわれわれは、正しい思いをいつも持ち続けることはできない。それはしばしば、風に吹き払われるように、消え去ることがある。もとより即座に、そのような思い呼び戻すことはできない。しかし、勇気は、常に幾らか努力すればしばらく持ち続けられる一種の気分であり、やがてそのうちに助けも与えられ、事情が好転することになる。戦争においてもその通りである。人生は戦争とよく似たところがあって、同じような戦術的原理に従って営まれるものである。』

 

                   清秋記: