『眠られぬ夜のために①』四月二十九日: | 真田清秋のブログ

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  スイスの哲人、カール・ヒルティ著

 『天才的素質は一種の精神病だという説は、すでにしばしば(いくらか逆説好きの人たちによって)主張されてきたが、天才は人類に最大の誉であるから、我々は人類の名誉のためにも、この説を承認するわけにはいかないだろう。しかし、この素質がその持ち主に及ぼす影響の中に、時には病的傾向のものが含まれている事は確かである。天才的人間が自己の上に支配者を認めず、どんな義務にも縛られない絶対的権利を主張するやいなや、その病的傾向はさらに悪化しがちである。こういう場合は、既に狂気に近く、また実際、狂気に陥った例も少なくない。神の命令に対する全く意識的な反抗やあるいは挑戦的無神論は、常に精神的不健康の始まりと見るべきである。実際、そう考えても決して誤りではないであろう。カーライルの伝記に、のちの皇帝ナポレオン三世が彼を狂気だと思ったという話がしるされている。カーライルがへいぜい抱いていたあの強い神の観念がなかったならば、疑いもなく、彼は気が狂っていたに違いない。しかし、彼が単にあのような抽象的な理想主義でなく、現実的なキリスト者であったならば、彼の生涯は、彼自身にとっても、彼の家族にとっても、また彼の国民にとっても、どんなによい働きをしたであろう。

 ローマ人への手紙一の二二、エレミヤ書一〇の六・一四・一五。

 

 現代の多くの天才たちは、もっと恵まれた境遇に置かれているが、やはり同じ決断の前に立たされている。ただキリスト教のみが、天才やその子孫を危険な精神的および肉体的退廃から守ることができる。強大な国々におけるこのような退廃の実例は、既に世界史にいくたびとなく示されている。

 

  意地悪い「時」の退化力を逃れうるものがあろうか。

  先祖に劣った両親の後に

  さらに劣った我らが続き、

  我が子はさらに劣って続くであろう。

                   (ホラティウス『頒歌』)』

 

              清秋記: