『眠られぬ夜のために①』四月四日: | 真田清秋のブログ

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 スイスの哲人、カール・ヒルティ著

『誰でも信仰の一時的な動揺を完全に免れるわけにはいかない。さもなければ、「信ずる」とはいえないであろう。しかし、信仰上の経験を重ねるうちに、信仰がしだいに一種の知識となる。だから、使徒ペテロは正当にも次のように語っている、「私たちは、私たちが知り、そして見たことについてのみ語る。ただたくみな作り話に従いはしなかった。」(ペテロ第二の手紙1の16参照)

 現代においても、すべての福音説教者は、自分についてこれと同様に言えなければならない。それができない限り、彼の説教はあまり役に立たない。

 ワーグナーの美しい歌劇によって我々に一層親しまれるようになったローエングリンの伝説は、その点で人をよく納得させるものを含んでいる。

 すなわち、およそ人類の救い主は、その独自の精神的本質を備えて未知の国からやってくる。したがって、多かれ少なかれどこか異様なところがある。それと同様に、彼は「闇と苦しみ」中から来るのではなく、「光と喜び」からやって来るのである。人はそれに接すると、何よりもまず、その救い主みずからがそのような新しい生命(いのち)に浸りきっているのを感じるに違いない。今日の預言者に見るように、ただ人間の悲惨についての嘆きの歌やその描写によって、あるいは自然科学や社会主義との単なる対決、それもごく弱々しい対決によっては、人に全然感銘を与えることができないし、そもそも預言者の名に値するものではない。』

 

                  清秋記: