先日、横浜にぎわい座で、

コラアゲンはいごうまんさんと春風亭一之輔師匠の
二人会を聞きに行きました。

 

 

おふたりとも

ナマで見るのは初めて。

オープニングトークで
お互いけなしながらも

なかよしなのが伝わってきてほのぼのしました。


今回の二人会は、

知人がXで
「一之輔師匠おもしろい!」

と投稿していたのを見たのがきっかけで行きました。
 

 

しかし、
コラアゲンはいごうまんさんのお話が

非常にショーゲキだったのです!

 

 

コラアゲンはいごうまんさんのネタは
すべてノンフィクション。

 

体をはって体験したことを

漫才調に語ります。

 

 

今回のネタのタイトルは
「世界にひとつだけの教科書」。

 

 

コラアゲンさんが

「小学生の教科書の練習問題に

出てくる名前でいちばん多いのはなんだろう?」

と疑問を持ったところから

この物語は始まります。

 

 

コラアゲンさんは、

東京にある教科書図書館で調べたそうです。

 

 

 

 

すると、

たろうくんとか

はなこちゃんとか、

あきらくんとか

三文字の名前が圧倒的に多い。

 

 

コラアゲンさんの本名である

「よしひろ」はないな〜、

なんて思いながら、

コラアゲンさんは何気なく、

昭和24年ごろの教科書を

パラパラとめくったそうです。



すると、おどろいたのが

教科書に載っている文章題の文章の長さ。

 

 

今の教科書に載っている文章題は、

たとえば

「たろうくんは自分の住んでいる町の地図を調べました。

すると〜が多いことがわかりました。

その理由は何でしょうか」

と、せいぜい2、3行ですよね。

 

 

 

それが、

昭和20年代の教科書に載っている文章題は

なぜたろうくんが地図を調べようと思ったか?

という理由から詳細に書いてあって、

地図を調べている途中に、おかあさんが

「明日は早いからもう寝なさい」

と、声かけまでしてくる。

 

 

まるでホームドラマの

ストーリーのようなんですって。

 

 

コラアゲンさんは、

当時の練習問題の文章を

プロジェクターで見せてくださいました。

 

 

ほんとに

めっちゃ長かった!!

 

 

コラアゲンさんは

そんな長い文章だった理由が知りたくて、

教科書会社の方に

インタビューしたそうです。

 

 

すると、

「当時の学習は、

生活に根付いたものとして学ぶ

生活単元学習だったからです」

という答え。

 

 

しかし、

そこで終わらないコラアゲンさん。

 

 

「なぜ、当時の教科書をつくる人は

学習を

生活に根付いたものにしようと

思ったのですか?」

と、さらに教科書会社の人にたずねました。

 

 

教科書会社の方も

「はて?」

と考え込み、

調査してくれました。

 

 

 

すると驚きの事実がわかったのです!

 

 

 

昭和20年の終戦後、

「道徳」の授業は

GHQによって禁止されました。

 

 

なぜなら、戦前の道徳は

愛国心を育てるねらいが強く

GHQに、戦争につながる危険思想とみなされたから。

 

 

 

しかし、当時の

教科書制作者たちには、

「これからの日本を背負う子どもたちに

なんとか道徳の心を伝えたい!」

という熱意がありました。

 

(愛国心のほうじゃなく

人にやさしく、とかそっちのほう)

 

 

 

そこで、彼らはなんと

国語や算数などの

練習問題の文章題の中に

道徳のエッセンスをひそませたのです。

 

 

だから、当時の文章題は

めっちゃ長かったのですって。

 

 

 

まるでプロジェクトXみたいな

話ですな。

 

 

その長文の文章題は数年続いたのですが、

昭和33年に、

「道徳を学校で教えてもよい」という通達がなされて、

それ以降は今のような簡潔な文章題に変わったそうです。

 

 

 

で、コラアゲンさんのお話は

まだ終わりません。

 

 

教科書会社の人と仲良くなったコラアゲンさん、

「自分の名前『よしひろ』を

教科書の文章題に使ってもらえませんか?」

というお願いをします。

 

 

最初は

「長い名前を使うと文章量が多くなっちゃうので

使えないんです」

と断られたそうですが、

その後も根気強く根回しをつづけ、

 

 

とうとう!

「よしひろくん」が

算数の教科書に登場したんですって。

 

 

その後も、

この担当者の方が「理科」の部門に異動すると

「よしひろくん」は理科の教科書にお引越し。

 

 

しかし、とうとうこの担当者の方が

定年に。

 

 

いったんは「よしひろくん」の名前は

教科書から消えるのですが、

 

なんと、

この担当者の方が、

会社の後輩の方に根気強く働きかけてくれて、

とうとう今年の教科書から再び

「よしひろくん」が

算数の教科書に返り咲いたそうな!!

 

 

 

会場じゅうが

拍手喝采でした。

 

 

 

二人会の落語会の日は

ちょうど全国の小学校で教科書が配られる日。

 

 

真新しい教科書に

「よしひろくん」の名前が載っている様子を想像したら

なんだか胸いっぱいになりました。

 

 

よしひろくん、

よかったね!!

 

 

 

ちょっとワタクシゴトになりますが、

わたしの長男が一年生のとき(2004年)の

書写の教科書に

習字のお手本として

「でんしゃのうんてんしゅになりたい れお」

とあったのです。

 

 

わたしの長男の名前は「れお」で

当時、彼は電車が大好きだったので、

「うちの子のことだー!!」

と、非常にびっくりしました。

 

 

(それにしても

日本文化を学ぶ代表みたいな「書写」の教科書に

「れお」ってちょっと西洋チックな名前を使うって、

ひょっとしたら
そこにも何か根回しがあったのかも?)

 

 

 

 

コラアゲンさんの話を聞きながら

そんなことも思い出しました。

 

 

 

あっ、コラアゲンさんのことばかり書いてしまいましたが

一之輔師匠の噺も

声が艶っぽくて

話を聞いてると情景が豊かに浮かんできて

さすがの名人芸でした。

 

 

 

なんともぜいたくな夜でした。

 

 

 

そして、この日は

母の誕生日でもありました。

 

 

母も落語が好きだったので、

あの会場で

いっしょに笑っててくれたかしら。

 

 

 

そういえば、

母は昭和19年生まれなので

小学校のころは

きっとその長い文章題で学んでたんだろうな。

 

 

 

生きてたら

そんな話もしてみたかったなぁ。