山間の寒村に生んで頂いたお蔭で山歩きは子供の
特権だったが、「くよさま」」と呼ばれる石造物の
置かれた岩肌の向かい、道や田んぼを挟んだ里山の
斜面に得体のしれない「そうごろさま」がある事は
子供でも大人の会話から知っていた。
今回の里帰りで初めて「そうごろさま」を訪ねてみた、
これはその記録の序章である。
「くよさま」=供養塔(※1)
「そうごろさま」=惣五郎(佐倉惣五郎※2)
※1 くよさま=庚申碑、湯殿山碑、月待塔、山神碑
などが一枚岩に据え置かれている。
漢字で示せば「供養塔」であるが、さまを付けて
昔から祀られているものと判断した。
一番下の白い大き目な碑は湯殿山の碑、何年か前
倒れ落ちてこの位置に再据え付けしたと、兄の
話である。
※2 そうごろさま=佐倉惣五郎物語の主人公を供養。
江戸時代初期の義民伝として様々な写本に登場
する人物。
佐倉惣五郎又は佐倉宗吾(本名は木内惣五郎)は、
江戸時代初期に佐倉藩の苛政に苦しむ農民を救う
為、自分の身を犠牲にして将軍に直訴した義民
として知られ、それは「堀田騒動記」や「地蔵
堂通夜物語」といった数多くの写本によって広
まった。・・・義民伝承「佐倉惣五郎物語」
特定非営利活動法人 まちづくり支援
ネットワーク佐倉 さんの資料を借用。
前回の調査資料
故郷の石造物 続編に続きます。