ご縁に感謝 西国観音巡礼 道中記第6部 | 福来野のブログ

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 早春の区切り打ち三日目、今日は兵庫県加東市にある第25番札所

「御嶽山播州清水寺」と同じく兵庫県三田市の花山法皇ゆかりの番外

札所「花山院菩提寺」お参りの2回シリーズです。

 

 新大阪、大阪、尼崎、新三田と乗り鉄を楽しんで下車駅「相野」。

いつもの性格が現れ計画より約30分早く、9時01分相野到着したが

播州清水寺行き路線バス出発は10時15分。構内をウロウロしながら

バスの出発を待つ。

 

構内フェンス外に咲く菜の花。

 

三田市のマスコットキャラクター、キジの「キャッピー」。

 

 播州清水寺行きの路線バスは約45分の乗車時間、しかも日に2本

と少ない。この日は福来野を含め5人、途中下車も乗車する人もなく

山上の札所に到着した。

 車社会の世の中だからバスを利用される地元の方は、少ないの

だろうと想う。

 

 先の記事に記載したが、江戸時代の納札木札の有無を確認した

播州清水寺で、納経所で優しい姐さんに頂いた「播磨 清水寺文書」。

「しっかり勉強してくださいね」との言葉を添えて。感謝です。

中身の一部をご紹介しましょう。

 

 上記画像の左上、駒札を拡大した画像には「越前守 三好長慶」が

出した禁制が記されている。弘治三年は、室町時代の西暦1557年。

 越前守 三好長慶は戦国時代の武将。畿内・阿波国の戦国大名。

室町幕府の摂津国守護代、相伴衆。細川政権を事実上崩壊させ、

室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好

政権を樹立する。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に

争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。

(勉強嫌いの福来野、初めて知る清水寺の歴史です)

 達筆過ぎてこのままでは読めないのですが、文書内には判り易く

記載されています。

1.当手軍勢甲乙乱入狼藉事

1.剪採山林竹木事

1.国質所質喧嘩口論事

 右条々堅令停止訖、若於違犯之族者、速可処厳科者也、

 仍下知如。

意味:右条々、もし違背の輩あれば、速やかに厳科に処されるべき也。

 

 応永廿五年戊戌とは、室町時代の西暦1418年。

 

 「候文」を久々に眼にしました。「仍如件」は、(よってくだんのごとし)と

読み、前記記載の通りである。書状・証文などの最後に書き記す語句。

寛文拾弐年子ノ十二朔日とは、西暦1672年壬子12月1日。           

 

ご縁に感謝 西国観音巡礼 道中記第7部に続きます。