少し前の年代になるが(1980-1982)「広報しんとう」で紹介されていた
双体道祖神(全15基)、好奇心の矛先を向けて村誌記載の38基を順次
訪ね歩いている。
先人の残された貴重な文化遺産を時代の波に埋もれさせることなく、
双体道祖神に祈った先人の想いを未来を担う子供たちに少しでも
引き継いで行きたい。
好奇心の出来る範囲で調査を進め、完了したら造塔年代や
二神さまの形態(並立・添立・祝言など)をまとめて置きたい。
榛東村広馬場②として記録するのは、破風のような屋根の形をした
双体道祖神。1981年1月発行のNo.126号の記事、以下に紹介文の
あらましを記載して置きます。
◇江戸尻の道祖神
この道祖神は約220年前(宝暦11年、西暦1761年)に造立
されたもので、像の頭上にぶどうの葉が刻まれているのが珍しい。
いま北関東一のぶどう郷がこの近くに開けている事、不思議な
因縁と言えます。朱記は、福来野追記。
風化に伴って像容が不鮮明になっている為、ぶどうの葉を確認する
事は出来なかったが、この双体道祖神を造立した江戸中期では葡萄
栽培は主に甲州であり、上州での栽培は福来野の調べで確認でき
なかった。むしろ、この時代は養蚕が盛んであった事から”ぶどうの葉”
ではなく”桑の葉”だったかも知れないと邪推した。
道祖神の手前にあった小さな石柱、陰刻文字が確認できないので
再調査予定。
二神の頭上にある被り物も勉強不足で不明。
また、向かって左が男神?右が女神のように見えるが、若しかしたら
仏教系の観音菩薩と勢至菩薩かも知れない。
僧衣の裾も見たことのない形。福来野には謎の多い「双体道祖神」。
そうだ、耳飾り館の学芸員さんに聞いてみよう。
造立年も月は読み取れたが、年号が読めないのでこちらも再調査。