「あのね、レン。大切なことをお話しなきゃいけないと思うの。」
たくさんの花火が夜空に打ち上げられ、あれだけはしゃいでいたリンは、いつの間にかとても沈んだような表情になっていた。
それは花火がもうすぐ終わるからじゃない。
このお祭りが終わろうとしていることが、悲しいからじゃない。
「えっ?」
僕は突然のことで、少し驚いた。
それくらリンの顔は、思いつめたような表情だったから。
「どうしたの?」
「うん。あのね。」
でもリンはまだ迷っているようだ。
話していいのか、どうか。
ずいぶん長い時間が過ぎた。僕はその間ずっと黙っていた。
きっと、とても重大なことなんだと思う。
「あのね、レン。もし・・・」
「レン、リンちゃん!そろそろ帰るよー!」
ミク姉ちゃんと、ルカさんが呼びにきた。
「う、うん!ちょっと待って!リン。」
「レン、ごめんね。また今度話すよ。」
「いいの?」
「うん、ほんとごめんね。言いかけたのに。」
リンの顔に、少しだけホッとしたような表情が浮かんだ。
僕は心の中に、何かが少し引っ掛かった。
リンにはとっても大きな秘密がある。
それをリンはひとりで抱えているんだ。
いったい何だろう?
僕は少し不安になった。
リンはさっきまでの深刻な表情を、無理に消して、ミク姉ちゃんとルカさんのほうに走り出した。僕はその後を追っていく。
帰り道、リンの履いている下駄の音は、やけに重そうに聞こえた。
「本当に大丈夫なの?送っていくよ?」
「ううん、大丈夫。おじさんの家、近いから。」
「そう・・・。」
ミク姉ちゃんは、少し心配そうだったけど、リンは大丈夫と言って、送られることを断った。
リンは紙袋に入ったワンピースと、夜店で買ったリンゴ飴を、大事そうに持って、帰って行った。
「リンちゃんのおじさんの家って、大町のどこだろうね?レン、聞いてないの?」
「う、うん。」
僕はリンのことを、あまり知らない。
リンの家も知らないし、リンの家族のことも。友達のことも。
それより、さっきのリンの深刻な顔で、何を言おうとしていたのか、それが気になって仕方なかった。
夏も終わりに近づこうかという時、いつもより早く台風がやってきた。
外は少し風が吹き始めている。その影響だろうか、入道雲の形は、いびつに歪んでいた。
僕はこの間の花火大会の写真を、リンと見ていた。
「リン、どれでも気に入った写真を、持ってかえってね。」
「いいの?」
「うん。いくらでも写真は印刷できるからね。」
「うれしいな。」
写真の印刷は、きはむさんに頼んだ。
きはむさんは、割といいプリンターを持っているから、お願いしたらいくらでも印刷してくれる。
きはむさんは、僕とリンが写った写真を見ると、しばらくじっと見つめていた。
少し寂しいような、それでいて、何かを思い出すような目をしていたけど、僕は次々と印刷される写真に気持ちが行ってしまっていたので、あまり気にならなかった。
「リンちゃんと仲いいんだな。」
「えっ?そ、そうだね。」
「リンちゃん、大蕗の子だったっけ。」
「う~ん、たぶんそうだと思う。実はよく知らないんだ。」
「そうか。黒瀬湖の近くと言えば、大蕗だもんな。」
「それがどうかしたの?」
「うん・・・・・・。いや、なんでもない。いい表情で写ってるな。大事にしろよ。」
「うん。」
きはむさんが、そのとき何を感じたのか、僕には分からなかった。
リンは、机に並んだ写真を、一生懸命見ている。浴衣姿の自分を、とても珍しいものを見るかのような目で眺めながら。
「大型で強い勢力の台風3号は・・・」
テレビで台風が近付いているって言ってる。アナウンサーの声を聞くと、リンは画面をじっと見つめた。
リンはその画面を見ながら、とても悲しそうな顔をした。見る見る表情が曇っていく。
「リン、台風が来ると心配?」
「えっ?うん。そうだね。台風が来ると、たくさん雨が降るでしょ?」
「そうだね。学校が休校になるとうれしいけど!」
僕の冗談は、リンの耳には届いてないみたいだ。
「黒瀬湖の水、増えちゃうね。」
「え?そ、そうだね。あの廃校も、そのうちまた湖の底に沈むんだね。」
僕はすっかり忘れていた。
あの廃校は、雨が降れば、また湖の底に沈んでしまう。
なぜかリンはとても悲しい顔をしていた。
「この写真、もらっていい?」
悲しい表情をかき消すように、リンは努めて明るい声を出すと、一枚の写真を確認してもらうかのように、僕に見せた。
「うん、いいよ。」
一枚だけ。その写真は、僕とリンが笑顔で写っているもので、屋台の前で撮ったものだ。
屋台にはそれぞれ、赤や黄色の照明、綿菓子のビニール袋やお面が、たくさんぶら下がっている。
リンの手には、あのリンゴ飴が写っている。
その宝石のような赤いリンゴ飴が、とても印象に残った。
「一枚だけでいいの?」
「うん。この一枚だけでいい。」
「遠慮しなくていいんだよ。」
「うん、ありがとう。また別の写真が欲しくなったら言うから。」
「そう。あ!」
思い出した。
あのとき、リンは何を言おうとしたんだろう。
「リン、あのとき・・・・」
「レン、そろそろわたし帰るね。」
リンは、その話題に触れられたくないかのように、僕の言葉をさえぎった。
「あ、そうだね。台風が近付いて来てるから、早めに帰ったほうがいいね。」
「じゃあ、さようなら。」
リンは玄関を出ると、走って帰って行ってしまった。
その晩、雨が降り始めた。次第に風も強くなり始める。
「台風か。この台風が行っても、もう次の台風が近付いて来てるって言うし。夏休みも終わるっていうのに、いやね。」
ミク姉ちゃんは、テレビのニュースを見ながら言った。
台風が去った次の日、リンは来なかった。
それから二日ほど経った。
リンが家に来なくなったので、僕は少し不安になった。
あのときのリンの、悲しげな表情が、僕を一層不安にさせた。
夜、窓ガラスに石が当たる音で、僕は目が覚めた。
誰だろう。
ひょっとして!
僕は恐る恐る窓から外を見た。
リンがいた。
僕は音を立てないように家を出た。
「ごめんね、レン。こんな時間に。」
「どうしたの?リン。」
「この間のお話を。」
僕はリンに言われるまま、城跡のほうに歩いて行った。
町はまだ眠っている。
人っ子ひとりいやしない。
空には明るい月が照っている。
台風で雲が晴れているから、かなり明るい満月だ。
「レン。わたし・・・・・・わたしね。」
「うん。」
「わたし、実はレンたちと同じ世界の人じゃないの。」
「えっ?」
僕はリンが何を言っているのか、理解できなかった。
目の前にいるのは、間違いなく僕の知っているリンだ。
でも、リンは僕たちの世界の人間じゃないと言う。
「わたしはね、本当は何十年も前に、死んじゃったの。」
頭から血の気が引くのを、初めて知った。
「そ、そんな・・・どういうこと?!」
「ごめんね。レン。今まで黙っていて。」
僕は理解しようと必死に考えた。考えたけれど、理解が出来ない。
リンの言うことは、あまりにもショックだったから。
「わたしはね、あのダムが出来る前。ある大雨の晩、山崩れがあって、それに巻き込まれて・・・。本当に一瞬のできごとだった。
村の人たちでは、掘り返すこともできなかった。
町からたくさんの人が来てくれたけど、とても救い出すことは無理だったの。
真っ暗な闇の中で、わたしの命の灯は消えたの。
ランドセルも、そろえてもらった文房具も、大切にしていた靴も、全部土に埋まってしまったの。
わたしはね、どうしても自分が死んだことを受けれいれられなくって。
そして、学校に居つくことを決めたの。
家はもう土に埋もれちゃったから。でも、学校なら、友達と一緒にいられるし。」
その話は、あまりにも衝撃的で、僕には半分も理解できない。
「そうしているうちに、ダム建設の話が持ち上がって、あの学校はダムの底に沈むことになって、廃校になることになったの。
以来わたしは、ひとりぼっちで、ずっとダムの底にいたんだよ。
ずっとずっと。
そして、今年。湖の水が干上がって、レンたちがやって来た。
あれだけ人恋しかったのに、いざ人が現れると、追い返そうとする。おかしいよね?」
リンは寂しそうに、力なく微笑んだ。
「リンが幽霊でも何でもいいよ、ずっと一緒にいようよ!」
「それはできないの。
わたしはね、あの校舎に取り付くことで、わたしの思いをこの世に遺すことができているから。
わたしの魂は、あの校舎が自然に朽ち果てるまで、ずっと校舎にいることになるの。
それからね、校舎が完全に水に埋まったら、わたしは校舎から出ることが出来なくなるの。」
「どうして?」
「水は山の水が集まってるでしょ?この山は霊山だから、山の水はたくさんの精霊の霊力を宿しているの。だから、その力でわたしは外にでることはできないの。水で校舎が満たされれば、わたしはずっと校舎の中にいることになるの。ちょうど水が結界となって、わたしはそこから動けなくなるの。」
「だから、今年は・・・。」
「そう。結界が無くなったから、わたしはこうして外の世界に、少しの間だけ出ることが出来た。そして、レンと出会えることができた。」
「なんとかならないの?リン!僕、なんでもするよ!ミク姉ちゃんも、きはむさんだって、力を貸してくれるはずだよ!」
「ううん、どうしようもないよ。」
「そ、そんな・・・。」
「校舎はもうだいぶ水に浸かってるの。だから、わたしもこうしているうちにも、どんどん外に出る力が失われているの。
だから、きっともうレンの家に行くことができない。」
僕はなんて無力なんだろう。
「きっとね、次の台風で、校舎は完全に水に埋まると思う。だから、もう・・・」
リンはそこまで言うと、うつむいて泣き出してしまった。
僕もそれ以上何も言えなくなってしまった。
「レン、いろいろありがとう。本当にありがとう。」
泣きながら、リンは笑顔を向けてくれた。
僕は涙のせいで、その顔がよく見えない。
僕が涙を拳でぬぐって、もう一度リンに視線を送ると、もうリンの姿は無かった。
霧が晴れるように、リンの姿は消えていた。