笑う角には、しあわせきたるの* -4ページ目

笑う角には、しあわせきたるの*

適当に歩いてたどり着いた場所も、
私が向かうべき街まで きっと続いてるの。

今日は海が蒼色で
空が真っ青だった。

そう、天気がよかった、ということ。
夕焼けがやけに、優しかった。

$笑う角には、しあわせきたるの*




ぽつり。

私はというと
なんかね、嘘、ついちゃう。

誰にだろ。
何にだろ。

分かるのは
この、嘘、はね
私の嫌いなやつってこと。

だから嘘を吐いたこの口を
畳針で縫ってやりたい衝動にかられる。



なんで嘘、ついちゃうんだろう。



答えはどこにあるのか
探すたびに
気づいて傷つく。
自分に問いかけては見えなくなって行く。

他人に頼って
傍に居てもらった。
そうしていると、
自分を癒すのは
自分の力なのだとわかった。

だって癒しを与えてくれた人の
想いを受け止めるのは自分だったから。

そして
癒してくれる誰かいてこその自分なのだと。




ずっと昔から
ものごころついたときから
頼って生きることを覚えてからなのか
そこに甘えて
脆いふりして生きてきた。

いつも助けてもらえる、と
こころのどこかで思ってた。





私が私で居られるのは、
いつも私に安心をくれる人が近くに居てくれるからなんだ。

東京に行ってから、
ワタシが私でいることを愛してくれる人に
出会いすぎてしまった。

どうやらここにいると
ワタシが私じゃなくなってしまって、辛い。

今日ついた嘘の理由は、
誰かから
好かれたかったんだ。

認められたかった。

居ても良いよって言われたかったから。




だから、"女"を武器にした。




でも本当の私は
女であることよりも
人間であることを強く意識してた。

だからきっと拒否反応がでたんだ。



山口に居た頃は
東京に投げ出されてからのように
必死で生きてきたように
それから楽しさに出会えたように
しっかりと人と話さなかったから。

情けなくても
恥ずかしくても
自分の結果。ダネ。



それが私、だったんだね。
やっとみつけた。



Hello,

猫のピアスを私にプレゼント。

「これでもつけて大人になりなさい」

の約束*

$笑う角には、しあわせきたるの*
13日の朝。
気分転換のためと、浅草に誘われた。

楽観的な考えすぎて、笑った。
私を笑わせてくれた。
安心をくれた。
久しぶりに心が軽くなった。

その日は11日のことが嘘かと思わせるくらい
あたたかな春の日だった。

水上バスに乗ったり、

笑う角には、しあわせきたるの*

お抹茶をのんだり、

$笑う角には、しあわせきたるの*

桜を見たりした。

笑う角には、しあわせきたるの*

菜の花が綺麗だった。

笑う角には、しあわせきたるの*


なんだか日常が帰ってきたみたいで
嬉しくなった。


ふいに、twitterを見た。
被災地の情報が雪崩のように自分に入ってきた。



目を塞いだ。
携帯から手を離した。

わたしは、現実から逃げた。

被災地の現状から逃げた。

臆病者だから。



帰宅した夜、
千葉の家で事件が起きた。

千葉のお母さんもいっぱいいっぱいだったのだ。

私は実家に帰るべきじゃないのか、と
優しく諭してくれた。


そう、千葉の家はあくまで
私の家ではない。

お母さんもお父さんもみんな優しい。
だけど、私の家ではない。

実家の両親の顔が浮かんだ。



こころが揺れた。









14日早朝
京成線は乗車率200パーセント。

いつもなら1時間半で着く家路は
4時間以上かかった。

切符を買うのに長蛇の列。
人の上に乗る人。
押しつぶされそうな人。
異様な光景だったが
喧嘩や痴漢が起きなかったことが幸いだった。

笹塚に降りる。
タイワハウスによった。

管理人さんとその奥さんと少し過ごして、
その日は私がホストの日だったが
疲れているのを見越して家に帰っていいよ、
と言っていただいた。

家に帰り、
最初の頃はぎくしゃくしていたが
同居人と少し話して和解できた。

そしたら
心が落ち着いたのか一気に力が抜けた。

余震はまだ続いていたが、
すぐに布団に入った。






15日。
起きてすぐ、タイワハウスに向かった。

今日はホストの日だ。
相変わらず余震は続いている。
私のtwitterのTLは原発と計画節電で持ち切りだった。

管理人さんと、同居人と友人と私で
タイワハウスにて話し合いをした。

勉強中だったが参加してみた。
すこし自分と向き合えたら良いなと思った。

「今、自分は何をしたいのか」
「今、どんな状況なのか」

少しずつ紐を解く対話をした。

だが、その時はどちらかというと、
紐を解きたい人が居て、
ひとりの人に紐を解いてもらうために、
紐を解きたい人が設定した場だったので、
最初のうちは全く話に参加できなかった。

すごく、もやもやした。

しばらくして、
電話が鳴った。

家の近い友人(YUKA)からだった。



たわいもない会話から、
周りの動きまで話が進み、
ママチャリキャラバンの話になった。

昨年の冬から夏にかけて行った企画で
全国につながりが有る私たちに
すべきこと
できることはないか、
自然に探していた。

その話し合いができたら良いなとおもい、
何人かに電話して
お久しぶりも兼ねて相談した。

その日の夜、メンバーでスカイプ。

参加する人もいたし、
できない人もいた。

それぞれがそれぞれの立場で頑張っているのが
ひしひしと伝わってきた。

だけど、みんな脅えたり、
何かに立ち向かおうとしたり、
焦っていたりしていた。

なんだか、なんだか、
地震が起きる前に動いていた人や
ボランティア活動をしたことあるひとから
そんな印象を受ける最近。

折角なので、会いたいメンバーで
次の日集まることが決まった。




16日
早朝から新宿に集合した。
久しぶりのみんなの顔にはマスクが装備されていた。

だけど、とっても安心。
とっても幸せな気持ちに*

笑う角には、しあわせきたるの*

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笑う角には、しあわせきたるの*

イタトマにて、
「最近の私」から始まり、
原発の知識、
これからしたいこと、できること、
想いを共有した。

みんなは相変わらずで、
とっても安心した*

会ってはなすことは大切なことだと実感。

そして私は、
実家に帰ろうとおもった。


ここ最近の状態に
一番すっきりしていないのは自分だということ、
原発に脅えていて自分がはっきりしないということ、
いろんな情報に振り回されているのは自分だということ、

両親に会って安心させてあげることが
自分の安心に繋がっているということを信じて
帰省することを決意した。

月末のバイトが心配だったが、
お昼過ぎにあったガイダンスに出席したら
心配しないで参加してほしい、と
社員の方に懇願された。
それを、信じようと決意した。


「私には私のできることを。」

その言葉がやっと自分に入ってきた日だった。


東北沖地震が起きてから今日まで
私に起きた事実と想いを
ひたすらに綴ります。




あの日、
私は夜にパーティーをする予定があって
笹塚のタイワハウスで準備をしていた。

夜の打ち合わせをしたり、
スタッフと連絡を密にとりあったり、
人の流れや、ものの配置を確認していた。


そんなことをしながら過ごしていると、
部屋の扉がガタガタいい始めた。

丁度、管理人さんが長机を拭いていたから、
「もうー、そんな大げさにふかないでよー
どんだけ張り切ってんのー!」

と、笑いあった矢先、





突然部屋そのものが、
大きく横に揺れた。







本棚が倒れる。

部屋のラックが揺れる。

外を見たら、電線が波打っている。




「どうしよう」

この言葉がずっと木霊した。

怖すぎて、
若干混乱。



私は幸運にも大人三人と一緒で、
しかもそのうちの一人が阪神淡路大震災の経験者だったため
その人に促されるが侭に外に出た。




商店街の大きな看板や
等間隔に並んだ電柱が揺れる。

道路脇に止まった車たち。
商店街の人たちがたくさん外に出ている。




そのまま
5分間くらい外に居たのかな。

とっても長く感じた。





下の電機屋さんのテレビに少しずつ人が集まりだした。

その時に「東北で地震が起きた」という事実は理解した。

お世話になった
アンソニーやてるちゃん、のびすけやぱるき
ちょび、たのすけ、
カフェ会場の人たちの顔がよぎった。


少したって部屋に戻り、
荷物をまとめた。
余震の度に怖くて外に出た。



今日のパーティーは無理だと悟った。




少しして、携帯を手に取った。
全く電話が繋がらない。

twitterのタイムラインがものすごい早さで更新されていた。
でも、全く情報が頭に入らない。



また余震。




外に出た。


降りると、
下の電機屋さんのテレビに人だかりが。
テレビで信じられない光景が映し出されている。

建物が水につかっている。
船や車、家が流れている。

「は?」




私は、空を見あげた。
真っ暗な雲が覆っていた。





「怖い。」






何かをしていないと、
動いてないとこの感情に襲われる。

お化け屋敷とかホラー映画の怖さじゃない。
なんだか身の危険を感じ続ける恐怖。

ジャングルの中に居るような
いつ、食べられるか分からない動物のような
そんな精神状態。

落ち着いてもどこか怖くて、
混乱した。

何が起きているのか、
何が起きようとしているのか、
想像もできない自体。

先が見えない。

揺れても居ないのに、揺れてるような
気持ち悪さ。

初めての感覚だった。





傍に居てくれる人だけがたよりだった。
10ヶ月のひかりちゃんに癒されてた。

笑う角には、しあわせきたるの*





その日は家には帰らず、
管理人さんの提案により、
パーティー会場を避難場所として開放した。

食料は、
つくっておいたタンドリーチキンと
チリビーンズを分け合ったり
そこに居た人たちがパン屋さんや開いていたスーパーで
必要なものを買ってきてくれた。

笑う角には、しあわせきたるの*

夕方くらいになると
帰宅難民になってしまった社会人の方が多くいらっしゃり、
浅草、新宿、新橋など、
いろいろなところから人が集まって地震について話したり、
身体を休めた。

笑う角には、しあわせきたるの*

携帯が復活すると、私にも
高校時代の同級生(武蔵)から連絡があった。
渋谷に居ると言われ、この場所を紹介し、歩いてやってきた。
着いてしばらくすると
彼も安心しているみたいでほっとした。

笑う角には、しあわせきたるの*

深夜には最寄り駅の電車が動きだした。
それで帰宅した人も数名ほど。

不意に見るtwitterやmixiは地震一色。
誤報や無責任ツイート
困惑や疲労のつぶやきが増殖。

見るだけなのに、気持ちが疲れた。

mixiで翌日の卒業式は延期になったことを知った。

深夜になっても、
何かしらにずっとドキドキして
全く眠ることができなかった。








12日の朝が来た。

ほとんど初めましての皆さんと、
「いただきます」をして朝ご飯をたべた。
なんだかほっこり*

笑う角には、しあわせきたるの*

お昼になる前、寝るために一度家に戻った。


お昼前、一本の電話をとる。
山口の原発廃止の活動家(らんぼう)からだった。



「東京危ないぞ
福島の原発が爆発しそうやから」



一瞬で目が覚めた。




私は、何度も聞き直した。
難しい言葉だったけど、
ヤバいということはしっかりと伝わった。







「怖い」







次は昨日と少し違った「怖い」がわいてきた。
でも、どうしていいか分からなかった。

なにに恐れているのか、分からないため、
同居人にうまく説明できず、
全く伝えることができなかった。



メディアで報じていない現地情報が
たくさんRTされはじめ、
どんどん真実が私の中に入り始める。
つぶやきというよりは、悲鳴だった。

どんどんツイッターのつぶやきが私を支配した。
見たくないのに見てしまう。
気にしたくないのに気にしてしまう。
まるで、元カレのような存在。(w)

居ても立っても居られず、
急いでバックパックに荷物を詰めた。
ペットボトルに水をためた。



夕方買い物に出かけたが、
買えるものは何も残っていなかった。
とりあえずりんごと水を買った。



夜になって、
「怖い」という感情からイライラしたのか、
同居人と口論になり家を飛び出した。

私は心がとってもとっても狭かった。
同居人も、いっぱいいっぱいだった。

被災地の人のことを考えるというより、
自分のことでまだまだ精一杯。

私の周囲ではもういち早く動き出している人たちが居たけど、
それどころではなかった。

自分にできることはないか、
と考えている友人もいた。

だけど私は、自分を保つために
他人を傷つけることでしか自分を認識できなかった。



いざ、家を飛び出すと心細くなった。

なのに、

家には帰りたくない。
家には頼れる人がいない。
自分で頼れる人を傷つけて自分から離れた。

不甲斐なさとやるせなさと
イライラと
寂しさが一気にこみ上げてきた。

一人じゃ何もできなくなっていた。

独りの辛さを経験しつつ、千葉の家に向かう。

千葉には私のことを迎えてくれる家があったから。

今この人たちとその空間に居たい。
そうおもって、向かった。

心のどこかで同居人が気になった。

人と居ることの大切さを痛感した。
その日は千葉の家族にお世話になった。