「中岡晃也」
1989年7月20日生まれ
北海道出身
駒沢大学GMS学部4年
通称「ヘルメ」
最近は専ら、
「スケボーが欲しい。」とうるさい。
2010年1月28日からルームシェアをしている。
関係性的には”彼氏”である。
出会いは「日本一周ママチャリキャラバン」という企画の発起人
まーぼーの後輩として紹介されてから。
最初の印象は、
【The大学生】
千川のシェアハウスに、
「色んな人と仲良くなりたい!」オーラを出しまくっていた。
私はそーいう時期もあったな、と
俯瞰して見ていた。
この時に仲良くなった仲間は
企画を共に達成した愛すべき仲間となる。
それからまーぼーの誘われるイベントに行けば、
ヘルメと出会うようになる。
その時、彼は仲間の一人と恋をしていた。
どうやらその子の感性や感覚は
ヘルメの人生を変えたらしい。
私は応援した。
そしてその子と付き合った。
ヘルメやその彼女の
デートのコースや食べたもの、共有していることを
聞いて、楽しんでいる姿を見ているのが好きだった。
この時くらいから、ある男友達と私とヘルメで
恋愛や組織、人間について話す機会が増える。
暇があればスカイプをした。
私の家にもみんなで泊まりにきたりしていた。
この時に過ごした時間は私にとってはとても新鮮で
東京に来て初めて、「他大の大学生と長い時間を過ごす」
という経験をした。
それから少ししてヘルメから「別れるかもしれない」
という相談をされた。
私は驚いた。
上手くいっているものだと思っていたから。
けれども、友人の私から言えることは、
「ヘルメの好きなようにしたら良い」
の言葉だけだった。
そうして二人は別れた。
変わらないものと変わったものの狭間で
揺れているヘルメと彼女を見ていた。
私は私で、思うままに動いていた。
企画が大きく揺れることもよくあり、
練って練っていた時期だったため、
時間が怒濤のようにすぎて行った。
12月30日、私は仲間と静岡に旅行に出かけた。
東京に来て初めての仲間との旅行にうきうきし、
美味しいものを食べ、
重い荷物を持って、帰ってきた。
その日の夜、2日ぶりの東京に戻ってきたとき、
レンタカーを柱にぶつけてしまうという事故を起こした。
とっさに電話をかけたのがヘルメだった。
それまでも何かと言えば連絡をしていたのが
ヘルメだったというのもあって、
何気なく「やっちゃった~」なノリで連絡を取った。
「久しぶりだから会おう!」
このノリで旅行から帰ってきたその日にヘルメと渋谷で会った。
荷物の多い私を気遣ってか
荷物を持ってくれた。
この優しさに驚いたのは今でも忘れられない。w
初めて、「あーなんか男の子なんだ」と感じた瞬間だった。
そこから田園都市線で三茶に移動し、
とりあえず晩ご飯を探した。
私が「お寿司を食べたい。」と提案した。
すると、「北海道の寿司しか食べたくないんだよ!」
といかにも地元大好きなんです!的発言。
旅好きな私は、
「それなら北海道いきたいなー」とぼやいた。
すると、「行っちゃう?」
Σ(・ω・ノ)ノ!
その日はヘルメの家に泊まった。
そして次の日の朝
東京から「カウントダウンヒッチハイク」と称し北海道へ向かった。
ヘルメの家族にも会った。
たくさんお世話になった。
カラオケに行ったり、
もちろんお寿司もごちそうになった。
北海道での顔は東京のときと全く違い、
お母さんと妹を愛していた。
ティッシュという猫が可愛かった。
そんな姿をずっと見ていた。
帰りの車内で、自分の心の変化に気づいた。
それを打ち明けた。
そして付き合うことになった。
東京に戻ってからヘルメの友達を紹介してくれた。
駒沢大学の友達。
バイト先の友達。
地元の友達。
そして、私は一眼レフの楽しさを覚えた。
授業を休んでよく駒沢大学に向かった。
お洒落なカフェに行ったり、
人の話を聴きに行ったり、
気が済むまで布団の中で寝てたり。
様々な日常をシェアして過ごしている時、
突然ヘルメは「一緒に住んじゃおうぜ」
ワーオ\(゜□゜)/
どうやら、シェアハウスに興味を持ち始めたらしいが
気の置けない人とは住めないというジレンマ。
そしてかさむ交通費に嫌気がさしたらしい。
1月28日、付き合ったノリで一緒に暮らし始める。
世田谷区の松原に2LDKの家を借りた。
友達がたくさん来てくれた。
企画の進行にも大きく関わった。
そして、ママチャリキャラバンのチャリ隊が
出発をして少しずつ安定が崩壊し
これまで隠蔽されていた想いが漏れ始めた。
序章完