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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちは、日々の生活の中で、他人を羨ましいと思うことがあるものです。
誰かが贅沢な生活をしていたり、楽しそうだったりする様子をSNSなどで見て、
「いいなあ」
と思ってしまうことがあるでしょう。
この感情は、それほど致命的に害のある感情のようには見えませんが、いつも誰かを羨ましがっていたのでは、自分の幸福にはつながりません。
他人を羨ましいと思う感情は、自然に起きる感情ではないのです。
自分よりも給料が高い人を見ても、SNSで贅沢な暮らしをしている写真を見ても、我関せず、と何も思わない人もいます。
そのような人は羨ましいという気持ちを抑えているのではなく、そもそもそんな気持ちがないのでしょう。
妬みという感情について、アドラーは、
「われわれの仲間との関係に影響を与える根本的な態度の一つ」
と述べています。
そして、
「妬みから自由な人は誰もいないことを認めなければならない」
と言っており、その後で、
「人生が円滑に流れている時には、このことは常にはっきりと現れるわけではない」
と述べています。
つまり、人が他人を妬むのは、いつもそのような状態でいるのではなく、人生の流れが円滑でないときだというのです。
そして、
「人が苦しみ、圧迫されていて、お金、暖かさが欠けていると感じ、将来に希望が持てなくなって、抑圧された立場からの出口が見えない時には、妬みを感じる」
というわけです。
要するに、人生が何らかの意味で行き詰まっていると思ったときに、 自分が持っていないものを持っている人や、自分よりも幸福に生きている人を見て、 妬みを感じるというのです。
このとき、問題は、その人が、「出口」を見い出そうと努力していないことにあります。
また、
「妬みの感情は、このように絶え間なく比べることによって引き起こされるので、それが幸福の可能性を促すように作用しない」
と述べており、
「〔そのような人は〕自分のことを低く評価し、満足しないので、大抵他の人が自分のことをどう思っているか、他の人が何を達成したかについて絶え間なく比べるという状態に陥る。そして、自分は〔他の人に〕及ばないと感じるだろう」
とも述べています。
つまり、妬む人は、他者と自分を比べ自分は及ばないと感じる、即ち、劣等感を持つことになりますが、劣等感があるから仕事に取り組むのをやめるのではなく、頑張っても敵わないと思って仕事に取り組まないために劣等感を持つわけです。
そして、このような人は、他人が達成したことを自分が成し遂げた仕事と絶え間なく比べるだけでなく、「他の人が自分のことをどう思っているか」についても比べると、いっています。
妬む人は、他の人が高く評価されたのに比べ、自分は成し遂げられなかったことを他人がどう見ているかが気になります。
もちろん、自分は低く評価されたと思うでしょう。
以上のことから、人が誰かを妬むのは、自分にブレーキを掛けようとしているからだと言えるでしょう。
つまり、本当はやってみなければどうなるかわからないのに、よい結果を出した人を見て、自分には到底できないと思い、取り組むべき課題に挑戦することを避けようとしているのです。
また、誰かを妬む人は、よい結果を出した人が、努力を続けているということに目を向けません。
自分が課題に取り組んだときに望む結果が出ないことを恐れるので、成功したのは幸運だったと思いたいのです。
従って、他人を見て羨ましいと思う人生を抜け出すためには、まずは、自分の仕事の価値を他人から評価されようとされまいと、自分で認めることができる必要があります。
また、仕事だけでなく、自分の生き方も誰とも比べることはできません。
そういう意味では、自分で自分を認めることができることが求められると言えるでしょう。
【参考文献】
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