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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちは、他人に迷惑なことをされると、当然のことながら、不愉快な思いをします。
それにも拘わらず、小さい頃から他人に迷惑をかけることもなく、真面目に生きてきた人を見ると、
「面白みが足りない」
と言っては毛嫌いします。
その代り、若い頃にヤンチャでさんざん悪さをしてきて、他人に迷惑をかけまくっていた人間が、更生してまともな人になると、
「素晴らしくて立派な人だ」
と言って褒めたたえます。
例えば、昔、やくざをしていたが、改心してお坊さんになった人がいたりすると、そのお坊さんの法話を、他のお坊さんの法話よりもありがたがって聞くものです。
とてもおかしな話です。
本来なら、誰に迷惑をかけることもなく真面目に生きてきた人こそ、
「素晴らしくて立派な人だ」
と褒めたたえられるべきであるはずです。
しかし、そのような人は、一般的に目立つことなく、あまり人から相手にされません。
人が、昔悪さをしていてその後更生した人の話をありがたがって聞くのは、自分自身が真面目でないのを知っているからです。
つまり、今まで真面目に生きてきたわけでもなく、また他人に迷惑をかけないで生きてきたわけでもないことを知っているからです。
そのくせ、完全に悪くもなかったという極めて中途半端な存在であることを知っているからです。
それゆえに、昔悪くてその後立派になった人に憧れを抱くのです。
そうして、真面目な人に対する自分の負い目を穴埋めしようとするわけです。
私を含めて、そういう人が圧倒的に多いのです。
しかし、何度も言いますが、本来は、誰にも迷惑をかけることなく真面目に生きてきた人こそが、立派で素晴らしいのです。
残念ながら、そのような人は、大変少ないですが。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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