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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、
「不安定性愛着」
という言葉があります。
小さい頃に愛着人物(多くの場合、母親なのですが)との関係が不安定である場合、この不安定性愛着という言葉が使われ、不安定性愛着という幼児期から始まる人間関係が、その人の一生を支配することになる、と考えられています。
つまり、幼少期の不安定な愛着関係が大人になっても尾を引き、人間関係に執着してしまう人になる、ということなのです。
イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィの解釈では、そういう人は、被害者意識から行動するようになる、と言います。
不安定性愛着とは、養育者と子供との関係を表している言葉ですが、他の関係でも本質的に同じ関係があります。
関係が不安定であるから、絶えず「つながり」や愛されているということを確認していなければならないのです。
また、ボウルビィのいう不安定性愛着は執着のことを指します。
愛着人物に対して不安定性愛着になるのではなく、自分に対して不安定性愛着を持つのが自己執着だ、というのです。
自己執着が強いという人は不安定性愛着の強い人であり、自己執着が強いということは、情緒的未成熟と同じことだと言います。
自分のことしか考えられない、嫌われるのが怖いから、おびえる、よいしょする、迎合する、疲れる、もともと愛はない、自分の不安感を消そうとする、誰でもいい、となるわけです。
そのような人は、周囲の人から
「気難しい」
と思われるものです。
「あの人は気難しい」と表現された時、それはその人が不安定性愛着の大人であることを意味します。
彼らは、自分の言うことに「こう応えてくれるだろう」と期待しているのです。
例えば、露骨ではなくうまく自慢話をしたとします。
それに対して
「すごいわねー」
と応じてくれると期待していたにも関わらず、あまり感心されなかった場合、そのことに傷ついた途端に不機嫌になるのです。
アドラー心理学的に言えば、彼らは、自分にしか関心が持てない、勇気をくじかれた野心家だと言えるでしょう。
幼い頃に、愛着人物に受け入れられたり、認められたりしなかったために、自分に対して自信が持てず、自分の能力を低く評価してしまっているのです。
そのために、自分自身を認めてもらいたい、という欲求が強すぎるのです。
それゆえ、他人の反応に大いに期待してしまうのです。
あるいは、自分の周囲では、すべての人が機嫌よくしていることを望むのです。
なぜなら、不機嫌にされると、自分のことを嫌っているのではないか、と不安になるからです。
そして、このような人間になることによって、人間関係がうまく行かないのは、自分に能力がないのではなく、この「気難しさ」に問題があるのだということを示そうとするのです。
従って、彼らにとって必要なことは、
「人から愛されていない」
という認識が幼い頃に抱いた誤った認識であるということ気づくことであり、
「自分自身が受け入れられ、認められている」
という認識が持てるようになるための周囲の人たちからの勇気づけなのです。
【参考文献】
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