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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、最近、X(旧Twitter)に次のような書き込みがされて話題になっています。
それは、現役駅員さんによる書き込みで、駅員さんの土地勘について知ってほしいことが投稿されていました。
内容は下記のとおりです。
「最近の駅員は、土地勘がない場合があります。
人手不足で何駅も掛け持ちしており、急遽ヘルプで数ヶ月に1回行く場合は大変。
客『○○会議所どこ?』
私『駅前交番へ。。。』
客『は?出口も分かんないの』
私(スマホを預かり地図を回転させ)『北口。。。いや南口?』
客『早く!!会議に間に合わない』
残念ながら昔みたいに、一人一駅勤務で『駅員は、街のことはある程度知っている』時代ではありません。
ある程度有名なランドマークは、勤務に備えて『事前に自主的に無給で』訪れたりして、予習はしますが。
『知らない建物なので、駅前交番へ。。。』と言って、叱責されても辛いです」
この書き込みには、駅員さんを擁護するコメントが多数寄せられた、ということです。
私たちは、往々にして、自分のミスを怒りによって相手に押しつけることがあります。
件の客にしても、会議所の場所がわからなかったのは、調べてこなかった自分に非があるにもかかわらず、それを、場所を知らなかった駅員さんのせいに責任を転嫁しようとしています。
そもそも、怒りという感情には、
「支配する」
「勝つ」
「仕返しする」
「権利を守る」
などの目的があり、思い通りにならないとき、相手を従わせるために使われたりします。
これには、支配したい、議論などで勝ちたい、望みが邪魔されたので仕返しをしたい、という気持ちが含まれています。
その他にも、権利を守るためにも使われることがあり、相手を譲歩させる時にも使われます。
人は、怒りを使うとき、何らかの劣等を感じていることになります。
そして、その劣等を補うために怒りという感情を使うのです。
駅員さんと客との会話を例に取れば、客は、場所がわからないことに対して劣等を感じているのであり、その劣等を補うために怒りによって駅員さんを従わせ、場所がわからないのを駅員さんのせいにしようとしているのです。
何とも身勝手な怒りの使い方です。
残念ながら、怒りという感情は、ものごとを解決する力は持っていません。
怒りではなく、協力を求めれば、駅員さんももっと親身になって探してくれたことでしょう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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