ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
三十歳の大学生が、アドラーのもとを訪ねてきました。
彼は、試験が受けられない、と悩んでいました。
ひどく緊張した状態にあったので、眠ることも集中することもできなかったのです。
この症状から、彼は、人生に対する準備ができておらず、勇気が足りない、ということが分かりました。
また、彼の年齢からは、仕事という人生の課題から逃れようとしている、ということが読み取れました。
社会に適応できていないため、友人もなく、恋をしたこともありませんでした。
彼の最も古い記憶は、子ども用のベッドに横になって、壁紙やカーテンを見回している、というものでした。
この記憶は、成長してからの孤立と、視覚を使った活動への関心を映し出していました。
乱視だった彼は、身体的な欠陥を埋め合わせしようとしていたわけです。
しかし、ここで覚えておかなければならないことは、社会への関心がない状態で、身体のどこかの機能ばかりを発達させると、人生の調和が乱れる可能性がある、ということです。
見るという行為は、そもそも価値のある行為ですが、それ以外の行為を遮断し、ずっと目の満足ばかりを追い求めれば、強迫神経症になる恐れがあるのです。
見ることだけに関心を持つタイプの人はいますが、この関心を活用できる活動は非常に限られています。
そして、社会に適応できていない人は、この少ししかない活動を見つけることもできないのです。
この患者は、誰とも本当の仲間になれていなかったので、自分の見るという特別な関心を活用できずにいたのです。
この続きは、次回に書きます。
【参考文献】
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