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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
人が人生に対する準備ができていないということは、状況が極めて良好な状態のときも、また人生の本当の要求から誰かに守ってもらっているときも、表に出ることはありません。
人生の要求には必ず社会的な性質があり、他者と生きる感覚、つまり共同体感覚(アドラー心理学ならではの独特な価値観であり、共同体に対する所属感、共感、信頼感、貢献感を総称して言う)が求められます。
子ども時代というのは、普通、守られた時期ですが、共同体感覚が育たない形で過ごされることが多々あります。
今回のケースもそうですし、あるいは、前回の女性のケースもそうです。
前回の女性は、姉と競い、いつでも自分の威信が脅かされていると感じたために、自分のことで手一杯でした。
そのような目で状況を捉えていれば、子どもの共同体感覚は育たなくなります。
保育園、幼稚園、学校、交友関係といった幼い頃の環境は、他者との関係でどのように振る舞うかを最初に訓練して試すところです。
神経症では、子ども時代のこうした関係の中に、すでに患者の困難が必ず暗示されているのです。
そして、子どもの頃に、他者と一緒に何かをする気がなかったり、協力しても周りと違う奇妙な目立つ方法を取ったりします。
神経症患者がよく、自分は変わっていてうまく適応できなかったと思い返すのは、現在の社会的な環境から距離を取るための正当化の手段なのです。
受け入れられる標準的な振る舞いに近づくように求められたり、自分から求めざるを得なくなったりすれば、表面上は適応しようとするかもしれません。
しかし、実際に適応することはありません。
新しい要求に対して機械的に反応し、ずっと訓練してきた態度で応答して、どのような現実の接触からも逃れて隠れるのです。
この続きは、次回に書きます。
【参考文献】
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