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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
「このようなこと(あなたは私の親ではない、ということ)を母親には言いますが、父親には言いません。」
父親は、この子どもに何でも与えるので、このようなことを言うという方法によって、父親を攻撃するチャンスを与えないのです。
「母親は、新しい学校での変化を理解できませんでした。そこで、この子どもが悪い成績を取ると、そのことで殴っていました。」
かわいそうにこの子どもは、悪い通知表をもらい、辱められた挙句、自分は劣っている、と感じます。
そして、その上、母親に叩かれます。
これはあまりに悲惨なことです。
叩かれるか、あるいは悪い通知表をもらうかの二つのうちのどちらかであっても、悲惨なことです。
ここで、アドラーは、教師に対して、教師も考える必要があると指摘しています。
それは、子どもにあまりに悪い成績をつけると、家庭でのさらなるトラブルの始まりになる、ということを考える必要がある、ということです。
教師が賢く、悪い通知表をもらえば子どもが母親に叩かれることになるのがわかっていれば、もっと工夫をするようになる、というわけです。
「この子どもは、時々、我を忘れ、カッとなる、と言っています。学校で興奮し、クラスを乱します。いつも一番でなければならない、と信じています。」
このようなことをこの子どもが欲するのは、この子どもが一人っ子であり、欲しいものは何でも手に入れるように父親が訓練してきたからだと理解できます。
一番であるのを好むのも理解できます。
この子どもが田舎に住んでいたこと、そして、過去の利益を奪われた、と感じていることなどが分かっています。
これらのことから、この子どもの優越性の追求は、ずっと強いものであることが分かります。
しかし、それを表現するはけ口がないので、我を忘れ、トラブルを引き起こすわけです。
この続きは、次回に書きます。
【参考文献】
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