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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、人は誰しも、怒りを感じます。
怒りを感じないという人は、残念ながら、いないでしょう。
この怒りの感情には、2種類のものがあると言えます。
一つは、私憤であり、もう一つは、公憤です。
私憤とは、
「個人的なことがらでの憤り。個人として抱く怒り」
のことであり、一般的に私たちが感じる怒りとは、私憤である場合が圧倒的に多いものです。
一方、公憤とは、
「社会の悪に対して、個人の利害をこえて感じるいきどおり。また、是認しがたいおおやけの事柄に対するいきどおり」
のことであり、政治家や企業の不正行為、または犯罪者等に対して抱く正義感のようなものです。
同じ怒りに対しても、私たちは、私憤のほうは抑えるのが難しく感じ、なんとか相手に仕返しをしないと気が収まらないと思います。
これに対して、公憤の場合は、たとえ抱いたとしても
「どうせ、何も変わらない」
と言ってはすぐに諦めてしまいます。
もし、怒りというものが、人々が言うとおりに抑えがたいものであるのならば、なぜ公憤は、こんなにも簡単に抑えることができるでしょうか。
ここに人間の欺瞞があります。
私憤を抑えることが難しいのは、それを抑えると自分の価値に傷がつくと思っているからです。
それゆえ、私憤は抑えがたいと思い込んでいるのです。
これに対して、公憤の場合は、それを抑えたとしても自分の価値に傷がつくことなどほとんどありません。
それゆえ、すぐに諦めることができるのです。
しかし、本来、私たちは、公憤こそ公に表現していくべきものであり、国の支配者が行う不正に対する怒りを決して忘れてはいけないのです。
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