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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昨夜遅く、自宅の本棚があまりにも雑然としているのが気になりだし、古い本でも少し処分しようかと、よせばいいのに整理をし始めてしまいました。
お陰で、寝るのが大変遅くなってしまいましたが。
整理の途中で、私にとってはとても懐かしい本を見つけ、懐かしさのあまり思わず手に取り、パラパラとページをめくってみました。
その本とは、『吾輩は猫である』です。
「我輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当もつかぬ。」
この有名な書き出しで始まるこの小説は、言わずと知れた(若い人たちはあまりご存じないかもしれませんが)、明治・大正の文豪夏目漱石が40歳の頃に書き上げた彼の記念すべきデビュー作です。
確か、私が初めて読んだのは、小学校5年生の時。
それまで、推理小説、と言っても主に少年探偵シリーズ(これまた非常に懐かしいですが)しか読んだことのなかった私が、夏休みの読書感想文の宿題で、少し「ええかっこしてやろう」と思って読んだのがこの本でした。
もうかれこ40年以上も前のことで、その当時に買った本がいまだに大事に残してあったことに、我ながら少し驚きました。
しかし、何せ書かれたのが明治時代ゆえに、小学生だった当時の私にとっては、旧仮名づかいによる表現が難しかったり、わからない言葉が多かったりと、その面白さの半分も理解できなかったように記憶しています。
それでも、小さい頃に少し背伸びをして難しい本を読むと、難しい表現やわからない言葉を辞書で調べたり、あるいは、前後の文章からその意味を理解しようとしたりするようになるので、読解力が向上するのは間違いありません。
内容に関して言えば、細かいところまで覚えてはいませんが、人間の愚かさが猫の目を通して軽妙に描かれています。
登場人物は、皆、虚栄心の塊で、見栄を張り、他人の足を引っ張り合い、そうして、一時的な優越感に浸って満足しています。
それは、まさに人間の演じる自己欺瞞だと言えるでしょう。
そして、それは、傍から見ると、とても滑稽に見えます。
小説の中には、その滑稽な姿が、面白おかしく描かれています。
しかし、この滑稽さは、何も小説の中だけの話ではなく、人々が普段の生活の中で演じているものです。
私たちは、言っていることとやっていることの矛盾の中で、自己欺瞞という滑稽な姿を周囲の人たちに晒しています。
ただ、残念なことに、多くの人が、他人の演じる滑稽な姿には気がついても、自分の演じる滑稽な姿には気がついていません。
あるいは、猫の目になって自分の行動を見つめてみれば、その滑稽さに気づくかもしれませんね。
【参考文献】
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