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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、
「部下にナメられたくない」
「他人にナメられたくない」
「男にナメられたくない」
「女にナメられたくない」
「生徒にナメられたくない」
「子どもにナメられたくない」
そう思いながら、一生懸命肩肘を張って生きていらっしゃる方を目にすることがあります。
しかし、例えば、「部下にナメられたくない」と思っている人がいた場合、その人がそのように強く思えば思うほど、なぜか、部下にナメられているケースが多いようです。
それは、その人が、知らず知らずのうちに、部下にナメられるような態度を示しているからです。
なぜなら、もし部下にナメられるような態度を示していなければ、当然、部下にナメられることはありません。
部下にナメられなければ、「部下にナメられたくない」と思う必要もありません。
「部下にナメられたくない」と思う必要がなければ、肩肘張って生きる必要もありません。
従って、「部下にナメられたくない」と思っている人は、結局、
普段から部下にナメられるような態度を示しているということになります。
「部下にナメられたくない」と思っている人は、大抵の場合、
『私は、部下にナメられるダメな人間だ』
という信念を持っていらっしゃいます。
そのため、もし部下にナメられなければ、その信念は正しくないことになります。
そこで、その信念が正しいことを証明するために、無意識のうちに、部下にナメられるような態度を示しているのです。
そして、その態度を示して部下にナメられることによって、「部下にナメられたくない」という気持ちをより強く持つようになります。
その結果、
『私は、他人にナメられるダメな人間だ』
という信念がどんどん強化されていくわけです。
このような信念を持っていらっしゃる方は、往々にして、「強さや権力さえあれば他人にナメられることはない」と思っていらっしゃいます。
そのせいか、他人に対して高圧的な態度を取られることが多いようです。
しかし、たとえ強さや権力を持っていても、他人はその人をナメます。
確かに、その人の前では服従している態度を取るかもしれませんが、心の中では、相手を馬鹿にし、見下し、あざ笑っているものです。
いわゆる、面従腹背というやつです。
本当に他人にナメられない人とは、強さや権力を持っている人ではなく、心が広く、勇気があり、人間としての器が大きい人です。
人間としての器が大きい人は、そもそも「ナメられる」とか「ナメられない」とか、そういうことを一切気にしていません。
気にしていない以上、たとえ誰かにナメられたとしても反応する必要がありません。
ナメる側は、相手が反応してくれなければ、ナメようがないわけです。
そこでナメることを諦めてしまいます。
いや、むしろ、心が広く、勇気があり、人間としての器が大きい人の前では、ナメるどころか、萎縮して恐縮してしまうものです。
これに対して「部下にナメられたくない」と思っている人は、残念ながら、「ナメられる」ということを大いに気にする、勇気のない、人間としての器の小さい人です。
「ナメられる」ということを大いに気にするために、部下が少しでもナメた態度を取ると敏感に反応します。
そして、ナメられないように必要以上に自分を大きく見せようとして、無理に威張ったり変な威厳を示そうとしたりします。
その姿が部下からは滑稽に見えてしまうために、部下はますますナメるようになるのです。
これこそが、知らず知らずのうちに取っている部下にナメられる態度なのです。
「他人にナメられたくない」と思っている人は、
「ナメられたくない」と強く思えば思うほど、自ら他人にナメられる態度を取っている、
この逆説に気づかない限り、
この先も、同じ状態を続けることになるのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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