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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、今日は、『象の日』だそうです。
象、触ったことある?
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動物を大切にすると言えば、たま駅長が亡くなったのが、今から6年前の2015年。
たま駅長とは、今さら説明する必要もないですが、和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を務めていた雌の三毛猫のことです。
亡くなったのは、その初代のたま駅長で、現在は、何代目かのたま駅長が存在するようです。
私が、彼女の訃報に接し最初に思ったのは、彼女は猫として幸せな晩年を送ったのだろうか、ということでした。
私が初めてテレビのニュースで彼女を見たとき、抱いた感想は、
「かわいい」
というものではなく、
「かわいそう」
というものでした。
なぜなら、彼女は鎖に繋がれて台の上に座らされていたからです。
「猫を鎖に繋いでまでして、やるか」
と思ったのが正直なところでした。
私は、彼女に会いに行ったことは有りません。
それゆえ、彼女が普段どのような生活をしていたかは知る由もありません。
しかし、テレビのニュースで流れる彼女の姿を見て、常に私が思ったのは、
「かわいそう」
というものでした。
誕生日には、フォークを持たされてケーキの前に座らされていました。
私には、その姿が嫌がっているようにも見えました。
私は、猫ではありません。
それゆえ、猫がどのように感じているかは、私自身の想像の域を出ることは有りません。
あるいは、彼女は、楽しんでいたのかもしれません。
猫としての長寿を全うしたということは、それだけ大事にされていた証拠なのでしょう。
ただ、私が、動物に接する人間の姿を見ていつも思うのは、人間の考えのぶしつけな押し付けです。
つまり、人間と同じような生活をすれば、動物も幸せなのだという人間の驕りです。
たとえば、たまの社葬では、彼女に対してさまざまな感謝の言葉が述べられていましたが、その中に、
「人寄せの目的で勝手に利用して申し訳なかった」
という謝罪の言葉がなかったことを、私は残念に思いました。
そこに、人間の驕りがあるようにも思えました。
これは何も動物に対してだけではありません。
私たちは、往々にして、自分の考えを他人に押し付けようとします。
そして、その方があなたにとって幸せなのだと主張します。
そこに抜け落ちているのは、相手の立場に立って考えてみるという視点です。
猫の立場に立って考えてみれば、鎖に繋がれたり、ガラス張りの箱の中に入れられたり、無理やりフォークを持たされたりするのが、果たしてうれしいことなのかどうか。
彼女が、駅長という職を、猫として楽しんでいてくれたことを願うばかりです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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