人の正義と劣等感 その4 | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

仕事、恋愛、結婚、人間関係。人生がうまく行かない。変わりたい。

マジで今の人生を変えたい、人生を成功に導きたい、そう思う人は、アドラー心理学をベースにした『気づきの思考法』を学んでください。
自らが演じている自己欺瞞に気づき、必ず変わることができます。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

心理コンサルタントの白瀧です。

 

さて、では、なぜ、私たちは正義を求めるのでしょうか?

 

その答えは簡単です。

 

それは、相手の行動を抑止するためです。

 

正義の基本にあるのが、

 

自分の利益のために

 

他人の利益を侵害し損失を与えた者に対して

 

その損失を償わせること

 

だということを昨日の記事に書きました。

 

この場合、

 

自分の利益を侵害されるとは、

 

つまりは自分の権利を侵害されることを意味しています。

 

自分の権利を侵害されれば、

 

当然のことながら、自分の価値も下がってしまいます。

 

その状態をそのままに放置しておけば、

 

相手はますます自分の権利を侵害してくるでしょうし、

 

自分の価値は下がったままになり、

 

そうなれば、

 

自分の人生の価値まで下がってしまうことになります。

 

そこで、

 

やられたらやり返す』、

 

要するに、

 

「私の権利を侵害することは許さないぞ」

 

という態度を示すことによって、

 

現在の相手の侵害を止めさせ、

 

今後の行動を抑止しようとするのです。

 

この反撃を正当化するのが『正義』です。

 

このことを別な言葉で表現するなら、

 

自分の価値が下がるとは

 

自分が劣等な立場に立たされることを意味し

 

この状態を打破するために相手に反撃をくらわすというのは

 

劣等な立場を補償することを意味しています

 

つまり、『正義』とは、

 

劣等感を補償するための一つの形態だと言えるわけです

 

たとえば、

 

政治家や官僚が、

 

その立場を利用し私腹を肥やしているのを見て

 

強い憤りを感じるのは、

 

自分たちだけがまともに税金を払って損をしている、

 

つまり、

 

自分たちの権利を侵害されたことによる劣等を大いに感じるからです。

 

そこで、その劣等を補償するために、正義による糾弾を求めるのです。

 

このように、私たちが求める『正義』もまた、

 

人間の本質である劣等感の補償と強く結び付いているのです

 

この続きは、次回に書きたいと思います。

 

 
 
 
 
 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

心理学教育の必要性と『気づきの思考法』を広める活動をしています。


↓ご協力のほど、よろしくお願いします。 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ 
にほんブログ村 

 
人気ブログランキング

 

自分を変えたい、人生の迷路から抜け出したい、

 

そう思う方は、


『気づきの思考法テキスト』を読んでください


→詳しくはコチラ