人の正義と劣等感 その2 | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

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心理コンサルタントの白瀧です。

 

さて、昨日の記事に書いた、

 

作業員が作業中の線路に、

 

列車が猛スピードで近づいてくる質問では、

 

もちろん、

 

「これが正解」という答えがあるわけではありません。

 

ポイントを切り替えるのがいいのか、

 

それとも、そのままにしておくのがいいのか、

 

その行動の答えは、

 

人によってそれぞれ違うでしょう。

 

中には、

 

何とかして運転手や作業員に知らせようとする、

 

という行動を選ぶ人がいるかも知れません。

 

何れにしても、ここで問題となるとは、

 

それが許される行為か、それとも許されない行為なのか、

 

あるいは、

 

その行動が果たして最善だったのかどうか、

 

ということになってきます。

 

人が最善の行動をするには

 

自分に対する自信がなければなりません

 

人は、自分に自信がなければ

 

最善の行動を選ぶよりも

 

自分に最も責任が及ばない行動を選んでしまうでしょう

 

あるいはそれは、見て見ぬ振りをすることかも知れません。

 

以前にも書いたことがありますが、

 

この種の倫理的な問題を考えているとき、

 

人の脳では、

 

』や『不快』を感じる脳領域が活発に活動しています。

 

つまり、

 

許される行為は『』に感じ、

 

許されない行為には『不快』を感じるということになります。

 

その点から言えば、

 

自分に自信のない人は、

 

その行為そのものよりも、

 

自分に責任が及ぶことに最も『不快』を感じる

 

と言っていいでしょう。

 

しかし、

 

今回のケースでは、

 

たとえどのような行動を取ったとしても、

 

それが倫理的、道義的に見てどうか、

 

という問題はあっても、

 

正義かどうか、という問題とは少し違うように思われます。

 

もし、この場合に正義を求めるとすれば、

 

それは、この話を聞いた第三者ではなく、

 

この事故で犠牲になられた作業員の遺族の方たちではないでしょうか。

 

その正義とは、

 

ポイントの側に立っていたあなたの行動に対して、

 

許すべきか、許せない行為として何か罰を与えるべきか、

 

どのような判断を下すべきか、ということになってきます。

 

この続きは、次回に書きたいと思います。

 

 
 
 
 
 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

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