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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、人が、身体的な痛みを感じる脳の部位と精神的な痛みを感じる脳の部位は、共通しています。
また、この脳の部位は、他人が身体的な痛みを感じているのを見たり、精神的な痛みを感じているのを見たりしても、同じように反応します。
それゆえ、私たちは、たとえば他人が手などを怪我したのを見ると、同じように痛そうに感じたり、あるいは他人の心の痛みを理解したりすることができます。
だから、自分の心の痛みを経験した人は、他人の心の痛みを理解でき、他人に優しくなれる、などと言われます。
しかし、残念ながら、ことは、そんなに単純ではなさそうです。
なぜなら、人は、他人の痛みを理解できるからこそ、他人に残酷になれるとも言えるからです。
たとえば、他人に対する復讐やいじめなどを効果的に行うには、相手がどのようなことに痛みを感じるかを理解している必要があります。
理解していなければ、的外れな行動を取ることになってしまうでしょう。
つまり、自分の痛みを理解している人は、他人に対して、寄り添うこともできれば、突き放すこともできる、というわけです。
体育会系の部活で、先輩からいじめを受けてきた後輩の中には、自分が先輩の立場に立ったときに、自分がやられてきたのと同じように後輩をいじめる者もいれば、自分がやられてきたからこそ後輩に優しく接する先輩もいるのは、そのためです。
では、同じように人の痛みを理解していながら、行動に違いを生み出すものは何なのでしょうか。
それは取りも直さず、ものごとに対するその人の認識の違いであり、その認識に基づいた行動の目的の違いであり、その目的を達成するために、その人が自分の持っている機能をどのように利用しているかの違いだと言えるでしょう。
私たちの悩みはすべて、人間関係の問題である。
とアドラーは言っています。
人間関係の問題を理解するためには、己と他者を知る必要があります。
それは畢竟、人間というものを知ることを意味しています。
私たちは、他人に対する自分の行動の意味を知ったときに初めて、他人に対して優しくなれると言えるでしょう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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