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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、森鴎外の有名な作品に『舞姫』があります。
タイトルからは、淡い恋愛小説のようなものを想像できますが、実際は然にあらず、非常に悲しい物語であり、まさに人間の自己欺瞞の典型的な例だと言えるでしょう。
この小説の時代は1890年代、主人公太田豊太郎の手記の形を取り、留学先のドイツでの体験が綴られています。
彼は、幼い頃から厳しい躾けを受け、常に成績優秀、大学の法学部に入ってからもいつも同学年の一番に記されているほどでした。
役所に勤めた後も、上司の評価は高く、やがてドイツでの留学を指示されるに至ります。
前途洋々で旅立った豊太郎であったが、ドイツでの月日が流れるうちに何もかもに嫌気がさし、当初抱いていた政治家や法律家になる夢も無意味に思えてくるようになります。
そして、彼は、仕事も学問も投げやりになっていくのですが、ここで彼は独白します。
「自分は今まで勤勉で勇気があると思っていたが、それはただ恐怖心から他人に与えられた道を歩んでいたに過ぎない。」
「今の自分が本当の自分の姿なんだ」と。
ここに、彼の欺瞞の姿が垣間見えます。
彼の価値は、あくまでも優秀であること。
しかし、その価値を維持することができないという無意識の不安が頭をもたげてきたとき、彼の本当の困難が始まります。
そして、その困難を乗り越えることができないと無意識に感じたとき、彼の虚栄がさまざまな欺瞞を作り出します。
つまり、自らの体裁を整える言い訳を探し始めるのです。
今までの自分が単なる傀儡であったという言い訳も、彼の虚栄が作り出す欺瞞に他なりません。
もし彼が、現在の困難を乗り越えられると無意識に思っていたのであれば、自分の行動を自ら納得させる言い訳をあれこれ考える必要などないからです。
その後彼は、当時としては卑しい職業であった踊り子のエリスと出会い、恋に落ち、それがために職を奪われてしまいます。
友人である相沢の紹介で新しい職を見つけ、彼女との細々とした同棲生活が始まります。
やがて彼女は彼の子どもを身ごもります。
そんな中、相沢の尽力により、豊太郎の復職の目処が立つようになります。
ただし、その条件には、彼がエリスと別れることが必要です。
彼は、エリスと別れることを約し、職に復帰し、日本に帰ることを承諾します。
しかし、自分の帰国を心配するエリスにそのことを告げることができない彼は、自暴自棄に陥り、倒れてしまいます。
こうして、彼の虚栄心が作り出す欺瞞は、ますます拍車を掛けていき、それが悲劇を生む結果になります。
否、彼の行動そのものが、悲劇を生む目的を持っていたのです。
見舞いに来た相沢から事のすべてを告げられたエリスは、衝撃のあまり発狂し、『パラノイア』と診断されるに至ります。
そして、彼は、帰途に就くのですが、最後にこうつぶやきます。
「相沢のような良き友人は、二度と得ることは出来ないだろう。
しかし、私の脳裏には彼を憎む気持ちが今でも残っている」と。
そして、この言葉こそが、彼の自己欺瞞を如実に現しているのです。
なぜなら、彼の行動は、自分以外の誰かが、事実をエリスに語り解決して欲しいと物語っていたからです。
ある人の人生は、時に、とても順調に行っているように見えます。
しかし、それは、ただその人が、その人本来の困難に出会っていないだけなのです。
どのような人でも、いずれは自らの人生の困難に必ず出会うことになります。
その時期が早いか遅いかは、残念ながら、人によって異なってきます。
そのときにこそ、その人の本来の姿が形となって現れてくるのです。
困難に立ち向かっていくのか。
それとも、逃げるための欺瞞を演じるようになるのか。
この、自らの欺瞞に気づくことができれば、太田豊太郎の手記も、ハッピーエンドで終わっていたことでしょう。
【参考文献】
現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)
626円
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