決断したのは、あくまでも自分 | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

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心理コンサルタントの白瀧です。

 

さて、日本の温泉や銭湯では、刺青やタトゥーをした人の入浴を禁止しているところが多くあります。

 

その理由は、「他のお客様が不愉快な思いをするから」というのが一般的です。

 

また、テレビの番組やコマーシャルなどでも、一部の視聴者からのクレームによって放送が中止になったり禁止になったりすることがあります。

 

その場合も大抵は、「一部の方からのクレームがあったから」というのが中止や禁止の理由になったりします。

 

しかし、この理由っておかしくはないでしょうか。

 

温泉への入浴を禁止するのも、あるいはコマーシャルの放送を中止するのも、それを決断したのは提供する側であって、クレームを言った人ではありません。

 

お客様からのクレームに対して、自分たちがそれをどう捉えどう考え、そして、どのように判断し決断したのか、それが中止や禁止にした理由となるはずです。

 

それを一部の方からのクレームがあったからという理由にするのは、大いなる責任逃れだと言わざるを得ません。

 

すべての責任をクレームを言った人たちに押し付けているに過ぎないのです。

 

重要なことは、自分たちがなぜそのような決断をしたのか、ということではないでしょうか。

 

たとえそれが、「これ以上同じようなクレームに対処するのが面倒だったから」でもいいと思うのです。

 

クレームというのは、あくまでも問題提起、つまりものごとを考えるきっかけであって、問題解決の理由ではありません。

 

そのことに対して、どのような決断をするかは、当事者の判断によるものです。

 

私たち自身も、往々にして、これと同じような行動を取っています。

 

あいつが、俺を怒らしたんだ

 

あの人が、あんなことさえ言わなければ

 

彼の態度が、私を不愉快にした

 

しかし、私たちの行動は、私たち自信が判断し決断したものです

 

相手側はその行動のきっかけを作ったかもしれませんが、その行動を選択したのは、あくまでも私たち自身なのです

 

それを相手のせいにするのは、自分の行動に対する責任逃れだと言えるのではないでしょうか

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

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